【迷宮入り】二階堂ふみの学歴の謎!偏差値43で慶應義塾大学に合格するも中退!?

12歳でファッション雑誌「二コラ」の専属モデルを務め、2007年(当時13歳)にドラマ「受験の神様」で女優デビューした二階堂ふみさん。

今や数々の映画やドラマに出演し、大活躍中の二階堂ふみさんの学歴を調べてみると、慶応義塾大学に合格していることがわかりました。

 

しかし、2020年には7年目の留年とネットで報道されています。

二階堂ふみさんは大学を中退してしまったのでしょうか?

 

今回は、二階堂ふみさんの学歴と学生時代の様子、大学は卒業できたのか?はたまた中退してしまったのか?など詳しく紹介していきたいと思います!

二階堂ふみの出身大学は慶応義塾大学

二階堂ふみさんは、慶応義塾大学総合政策学部に2014年に入学しています。

しかし、卒業に関してはなにも発表がなく、中退したのでは?とも囁かれています。

 

総合政策学部は湘南藤沢キャンパスにあるため、都内から神奈川県まで通っていました。

慶応義塾大学の概要(学部・偏差値)

湘南藤沢キャンパス

引用元:Googleマップ

学校名 慶応義塾大学 湘南藤沢キャンパス
学部・コース 2学部(二階堂ふみさんは総合政策学部)
偏差値 75・80
所在地 〒252-0882 神奈川県藤沢市遠藤5322
最寄駅 湘南台駅(小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄ブルーライン)
公式サイトHP https://www.sfc.keio.ac.jp/
創立 1990年

慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスには2つの学部があります

  • 総合政策学部
  • 環境情報学部

二階堂ふみさんは、総合政策学部に入学しました。

偏差値は80ですのでかなり高いです。AO入試とはいえ、受験勉強はとても大変だったと思います。

 

総合政策学部と環境情報学部は、カリキュラムを共有しているため、学生たちはそれぞれの学部を行き来して自由に学ぶことができます。

慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス出身の主な芸能人
  • トリンドル玲奈さん(タレント)
  • 伊藤隆太さん(アナウンサー)
  • 一青窈さん(歌手)

早稲田大学の退学の噂の真相は…?

二階堂ふみさんは、19歳のときに1年浪人してAO入試で慶應義塾大学総合政策学部に合格しました。

 

高校3年生のときは「脳男」「地獄でなぜ悪い」「四十九日のレシピ」などたくさんの撮影で女優としてとても忙しかったため受験はできませんでした。

以下の写真は「脳男」の二階堂ふみさん

元々大学進学を希望していたため、仕事が忙しくても時間をかけて合格を目指した二階堂ふみさん。

志望したのは総合政策学部ですが志望した理由は、授業科目が学年別に決められておらず、女優として多忙な二階堂ふみさんには自由度が高く合っていたからです。

 

はじめは文学部志望でしたが、学びたい幅も広がり最終的には総合政策学部に決めたのです。

ドラマや映画の撮影で多忙な毎日を送る中、 自宅のみならず撮影現場の空き時間にも勉強に励み、 1年後に見事合格することができました。

 

女優としての仕事をセーブすることなく、少しの空き時間で受験勉強を必死にやり続け、難関校に合格することができたのはすごいことですよね。

しかし、憧れの大学生となるかと思いきや…

 

大学入学後も仕事が忙しく大学にはほとんど通えていなかったようです。

大学のサークルにも所属していたそうですが、一度しか参加したことがないと話しています。

 

ちなみに所属していたサークルは「テニスの王子様サークル」です。

二階堂ふみさんによると、漫画とアニメを部屋で一緒に見てワーとするサークルだとか。

 

また、二階堂ふみさんが入学した慶應義塾大学の総合政策学部は、湘南藤沢キャンパスになるため都内から神奈川県まで通うことになります。

仕事をしながら距離の離れた湘南藤沢キャンパスに通うこともなかなか難しかったのかもしれませんね。

 

同窓生によると、 必修の体育の単位を落としかけており、あまりにも見かけないため退学の噂もあったと話しています。

 

二階堂ふみさんは、2020年度前期放送のNHK連続テレビ小説「エール」に出演していましたが、このときに一度休学届を出しているようです。

朝ドラに集中するためだと思われます。

エール 二階堂ふみ

引用元:エール©NHK

2020年はちょうどコロナで大変なときでしたね。

エールの撮影も感染予防のために4月から2ヶ月半ほど休止になったりしました。

 

そして、朝ドラエールに出演していた薬師丸ひろ子さんに、二階堂ふみさんは大学生活を続けていけるか悩みを相談したんだとか。

 

薬師丸ひろ子さんは

大学で学んだ日々は将来女優業に役に立つ。 大変だと思うけど体を壊さないようにがんばって」

と励まし、卒業することを勧めていました。

 

ちなみに、二階堂ふみさんと薬師丸ひろ子さんは同じ高校出身ということで一気に距離が縮まり仲が深まったようです。

 

そんな言葉をもらった二階堂ふみさんですが、卒業したという発表は全くないようです。

普通はどこの大学でも在籍は8年までらしいですが。。

 

これは病気などでも延長はなく、計算上では二階堂ふみは2022年の3月に卒業していなければいけないこととなります。

この時点で卒業単位が足りてなければ除籍です。

 

1年浪人してまで入学した慶應義塾大学ですから、卒業すれば何か報告があってもいいはずですが、在籍できる年数を考えても卒業できたとは思えません。

 

芸能界では、4年で卒業できず留年して卒業した人も多くいるが、やはり仕事と学業の両立はとても難しいことがよくわかりますね。

かといって仕事をセーブすると、オファーも少なくなっていくでしょうし二階堂ふみさんは仕事を選んだということですかね。

 

大学生活は思うように過ごすことはできなかったようですが、仕事の方は順調だった二階堂ふみさん。

映画にドラマに出演しない年はないほど活躍しています。

 

人気バラエティ番組「ぐるぐるナインティナインのグルメチキンレース・ゴチになります」のレギュラーとしても出演していました。

二階堂ふみさんにとってはじめてのレギュラー番組となるが、引き受けた理由を知名度を広めたいから」と話しています。

ぐるナイ 二階堂ふみ

引用元:ぐるナイ©日本テレビ

芸能界でやっていくという強い意志を感じますよね。

 

また、日本アカデミー賞で最優秀主演女優賞を受賞するなどしています。

二階堂ふみさんは大学生活ははうまくいかなかったようですが、 芸能界では大成功を収めることができました。

二階堂ふみの出身高校は東京都立八潮高等学校

二階堂ふみさんは、東京都立八潮高等学校に2010年4月に入学し、2013年3月に卒業しています。

東京都立八潮高等学校の概要(学部・偏差値)

東京都立八潮高等学校

引用元:Googleマップ

学校名 東京都立八潮高等学校
学部・コース 普通科
偏差値 43
所在地 〒140-0002 東京都品川区東品川3丁目27−22
最寄駅 品川シーサイド駅(りんかい線)青物横丁駅(京浜急行)
公式サイトHP https://www.yashio-h.metro.tokyo.jp/
創立 1918年

東京都立八潮高等学校では、2015年より特進クラスが設置されています。

大学進学を目指して、進学ゼミや夏期講習など行っており、希望する生徒の成績上位者から順に決定されます。

 

二階堂ふみさんが在学中にはなかったクラスですね。

もし、二階堂ふみさんが通っているときに特進クラスがあったら、希望していたのでしょうか。

 

高校時代から忙しかったため、なかなか難しかったかもしれないですね。

東京都立八潮高等学校は、偏差値が43と決して高くはないです。

 

二階堂ふみさんがこの学校から慶應義塾大学に進学できたのはすごいことなのではないでしょうか。

東京都立八潮高等学校出身の主な芸能人
  • 関根勤さん(お笑い芸人)
  • 佐藤めぐみさん(女優)
  • 薬師丸ひろ子さん(女優)

高校進学後は上京して1人暮らしだった二階堂ふみ

高校進学時に沖縄から上京した二階堂ふみさん。

上京してはじめての一人暮らしとなり、お金がなくてお米が買えなかったそうです。

 

苦しい生活の中、芋を大量に買って芋をずっと食べており、主食が芋だったと話しています。

貧乏だったため、友達が家に来る時は1人米2合もってきてもらって入場料としてもらっていました。

 

そんな二階堂ふみさんは高校時代を振り返り、 バカばっかりやっていた。勉強するときはしていたけど、毎日友達とあそんでよくプリクラを撮りに行っていた」と話しています。

 

もし高校に戻れるなら部活に入ってみたかったという二階堂ふみさん。

スラムダンクが好きでバスケ部に入ってみたかったと話しており、マネージャーもやってみたかったとのことです。

 

仕事が忙しくて帰宅部だったんでしょうね。

高校時代の部活は大変なこともありますが、青春ですからね!

 

また、高校生の頃のバレンタインデーは、本格的に作って好きな子にあげたりしたという。

カカオから採りにいきたいくらいと話しています。

 

そんな二階堂ふみさんは17歳の時のインタビューで、20歳で結婚、23歳で子供を産み、30歳で7歳の子がいる予定だけど仕事は続けたいと話していました。

 

しかし、24歳になった頃当時のインタビューを振り返りこの頃はまだ23歳が遠く感じていたし、 もっと大人だと思っていた」と話し、

今となっては結婚はまだまだ考えられない、学ぶべきことが多すぎると話しています。

 

学生のときって、成人したあとはすごい大人なイメージがありますよね。

でも実際20歳、25歳と年を重ねていくと年齢だけが増えていく感じ。

 

あんまり気持ちは変わらないというか、結婚なんてまだまだ無理!なんて思ってしまいますよね。

二階堂ふみさんも、高校生のころは23歳は大人と思っていたんですね。

二階堂ふみの出身中学は那覇市立神原中学校

二階堂ふみさんは、那覇市立神原中学校に2007年4月に入学し、2010年3月に卒業しています。

那覇市立神原中学校の概要

那覇市立神原中学校

引用元:Googleマップ

学校名 那覇市立神原中学校
所在地 〒900-0022 沖縄県那覇市樋川2丁目8−1
最寄駅 牧志駅(ゆいレール)
公式サイトHP http://cms.nahaken-okn.ed.jp/kamih-jh/
創立 1961年

那覇市立神原中学校は、那覇市立神原小学校と小中一貫教育を行っております。

9年間を前期(小1~4)・中期(小5~中1)・後期(中2、3)に分けて発達段階に応じた指導をしていきます。

那覇市立神原中学校出身の主な芸能人
  • 神谷健太さん(ダンサー)
  • 與那城奨さん(アーティスト)
  • 洲鎌夏子さん(ソフトボール選手)

中学時代から沖縄と東京での2重生活

二階堂ふみさんは中学時代、沖縄と東京を行き来しながら仕事をしていました。

2007年に、「受験の神様」でドラマデビューし、2009年には「ガマの油」で映画に初出演しています。

ガマの油 完成発表会見

引用元:シネマカフェ

一番右が二階堂ふみさんです。

まだ初々しくてかわいらしいですね!

 

ガマの油に出演したときの感想を、沖縄県那覇市でインタビューされました。

以下の写真はインタビューに答える二階堂ふみさん。

ガマの油 二階堂ふみ

引用元:琉球新報

初めての映画出演となった二階堂ふみさんは、はじめてのことだらけだったが、オーディションの時から光(役名)は私がやると決めていたから頑張れたと話しています。

 

緊張からなかなか撮影できなかったとのことです。

しかし、役所広司監督に、カメラを意識せず役を楽しむように言われ、撮影をしていくうちに芝居ではなく光になっていきました。

 

そんな二階堂ふみさんは中学3年の卒業式の前の日、 仕事を終えて沖縄の自宅に戻りそのまま寝てしまったそうで、起きたら集合時間の5分前だったといいます。

 

しかし、二階堂ふみさんは卒業式で好きな男の子から第二ボタンをもらう約束をしていたのです。

すぐにでも家を出なければ行けないのに、くしゃくしゃの前髪じゃいやだと、前髪のセットに必死。

 

母にも、なんで起こしてくれないの?と文句をいいながら準備しました。

ところが、遅刻をしていたため学校までは走って登校したせいで、せっかく整えた前髪も結局乱れてしまいました。

 

前髪大事ですよね(笑)

学校で可能な限り前髪を整えて、無事第二ボタンもらえたんでしょうかね。

 

ところで、第二ボタンを渡す、貰う風習ですが、 令和の中高生は花束を渡すそうですよ!

もう第二ボタンは古いかもしれないですね。

 

しかも好きな相手だけではなく、両親に渡したりする人もいるみたいです。時代を感じます。

二階堂ふみの出身小学校は那覇市立神原小学校

二階堂ふみさんは、那覇市立神原小学校に2001年4月に入学し、2007年3月に卒業しています。

那覇市立神原小学校の概要

那覇市立神原小学校

引用元:Googleマップ

学校名 那覇市立神原小学校
所在地 〒900-0022 沖縄県那覇市樋川2丁目7−1
最寄駅 牧志駅(ゆいレール)
公式サイトHP http://cms.nahaken-okn.ed.jp/kamih-es/index.php?page_id=0
創立 1959年

那覇市立神原小学校は那覇市立神原中学校に隣接しており、小中一貫教育を行っています。

那覇市立神原小学校出身の芸能人は調べてみたところ他にはいませんでした。

沖縄美少女図鑑で芸能界デビューした二階堂ふみ

二階堂ふみさんは11歳の頃、両親の離婚により母と二人暮らしになりました。

お金はなく貧乏でお風呂もありませんでした。

 

とにかくしんどくて、地元に居続けたら自分が壊れてしまうんじゃないかと思ったそうです。

母は辛かっただろうし、還元したいという大きな夢があると話してます。

 

そんな二階堂ふみさんが、女優デビューのきっかけとなる「沖縄美少女図鑑」に掲載されます。

美少女図鑑

引用元:Twitter

元々洋服が好きで、古着屋さんによく行っていたらそのお店の発行しているフリーペーパーの表紙をすることになり、そこから「沖縄美少女図鑑」に掲載されることとなりました。

 

沖縄美少女図鑑に掲載された当時のことを、二階堂ふみさんは当時はメイクも知らずに緊張したが楽しい時間だった」と話しています。

そして、沖縄美少女図鑑を見た事務所の方が沖縄まで駆けつけ、当時12歳の二階堂ふみさんをスカウトしました。

沖縄美少女図鑑とは

各々の所在都市を中心に発行しているフリーペーパーです。

「〇〇美少女図鑑」と前に地域名が入ります。

※2020年6月より株式会社美少女図鑑に社名変更

二階堂ふみさんは、女優を目指していたのかというと、そうではありませんでした。

ただ、二階堂ふみさんの母が映画が好きでよく一緒に映画館に行っていました。

 

その影響で、二階堂ふみさんも映画が好きになり、”スクリーンに出たいな”と思っていたが、芸能界に入りたいわけではなかったのです。

当時は事務所の存在も知らなかったし、スカウトされたときも「映画に出られる!」と、それだけで入ったと話しています。

 

二階堂ふみさんは昔から映画が好きだったそうですが、オススメの映画にとか気になりますね。

ちなみに、沖縄に駆けつけた人が今の二階堂ふみさんのマネージャーだそうですよ!

 

きっと12歳のときにスカウトされたことが、二階堂ふみさんにとって転機となったのではないでしょうか。

まとめ

二階堂ふみさんは1年浪人してまで慶應義塾大学に入学しましたが、仕事との両立は難しく、中退した可能性が高いと思いました。

今後大学についてなにか発表があるかはわかりませんが、二階堂ふみさんの思いを聞いてみたいですね。

 

また、幼少期には両親の離婚でつらい経験もされたようですが、今は女優として大活躍していますしきっとお母さんも誇らしく思っているのではないでしょうか。

今後も女優としてどんな活躍を見せてくれるのか楽しみですね!

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