2020年に結成20年を迎えたお笑いコンビ「ダイアン」。
2007年と2008年にはM-1グランプリのファイナリストにも選ばれ、2018年に東京に進出してからはテレビで見ることも多くなってきました。
そんな「ダイアン」で、勢いのあるツッコミで人気を博している津田篤宏さん。
実は高校受験の際、第一志望に落ちているのをご存じでしょうか。
相方であるユースケさんにも、ことあるごとにいじられています。
今回は、第一志望の高校に落ちてしまった津田篤宏さんが、どんな学歴でどんな学生時代を送ったのかをご紹介していきたいと思います。
目次
津田篤宏は大阪ビジネスカレッジ専門学校の出身
津田篤宏さんは、1995年4月から1997年3月まで大阪ビジネスカレッジ専門学校に通っていました。
IT関係から、ペットやファッション、総合ビジネスまで、多種多様な教育を行っています。
姉妹校に、ダンスや音楽が学べる「ビジュアルアーツ専門学校」や、「東京デザイナー学院」「東京観光専門学校」があります。
大阪ビジネスカレッジ専門学校の概要(学部・偏差値)
学校名 | 大阪ビジネスカレッジ専門学校 |
学科 | 全5学科 |
所在地 | 〒530-0004大阪府大阪市北区堂島浜1-1-7 |
最寄り駅 | JR「大阪駅」から徒歩15分 JR「北新地駅」から徒歩5分 Oosaka Metro「淀屋橋駅」から徒歩5分 京阪「大江橋駅」から徒歩2分 |
公式サイトHP | https://www.obc.ac.jp/ |
創立 | 1982年 |
- ペットビジネス学科
- 総合ビジネス学科
- ITビジネス学科
- ファッションビジネス学科
- フラワービジネス学科
津田篤宏さんがどの学科であったかは明記されていませんでしたが、卒業後は建材会社に就職しています。
- 亀山忍さん 俳優、タレント
- 柘植智幸さん コンサルタント 株式会社じんざい社代表取締役
専門学校卒業後に1度だけ就職していた津田篤宏
当時の写真ではありませんが、かなり若い津田篤宏さんが写っています。
後ろに写っているのは、「とろサーモン」の久保田かずのぶさん、「かまいたち」の濱家隆一さん、「天津」の向清太郎さんです。
津田篤弘さんは高校卒業後、地元である滋賀県を離れ、大阪にある谷町6丁目に住んでいました。
専門学校時代はとても楽しかったと自身のYouTubeで語っています。
谷町6丁目は、梅田や心斎橋、天王寺といった大阪の主要都市にも行きやすく、色々と楽しめるところがあったのではないでしょうか。
学生には嬉しい街ですね。
実はこの頃高校生の頃から付き合っていた彼女、「みほちゃん」と同棲をしていました。
「みほちゃん」は初めてできた彼女で、他校の女子高のに通っていて高校2年生の秋頃から専門学校卒業まで付き合っていたそうです。
残念ながら、津田篤宏さんが就職した後なかなか会えなくなり、彼女から「好きな人ができた」とフラれてしまいました。
長く付き合っていただけに、ショックも大きかったのではないでしょうか。
大阪ビジネスカレッジ専門学校を卒業後は、前述したとおり一度建材会社に就職しています。
そこではルート営業を行っていましたが、性分に合わず9か月で退社しました。
当時は「逃げがちな性格だった」と語っています。
その後地元に戻った津田篤宏さんは、現在の相方であるユースケさんと遊ぶようになり、お笑い芸人を共に目指し始めます。
津田篤宏の出身高校は近江高等学校
津田篤宏さんは、1992年4月から1995年3月まで私立の近江高等学校に通っていました。
近江高等学校はスポーツが盛んな学校です。
特に硬式野球部は「第105回全国高校野球選手権 滋賀大会」で5大会連続18回目の優勝を果たすほどの実力をもっています。
2022年春の甲子園では準優勝に輝いていて、津田篤宏さんもTwitterで労いのメッセージを送っていました。
野球部のほかにも、サッカー部やバレーボール部なども活躍しています。
これだけスポーツがすごいと勉強の方はあまり力を入れていないかと思いきや、国公立や難関私立大を目指す県内屈指の特別進学コースを設置しています。
まさに文武両道を実現している学校ですね。
近江高等学校の概要(学部・偏差値)
学校名 | 近江高等学校 |
学科・コース | 普通科・全4コース |
偏差値 | 42~58 |
所在地 | 〒522-0002 滋賀県彦根市松原町大黒前3511-1 |
最寄りのバス停 | 近江鉄道バス「近江高校前」から徒歩1分 JR「彦根駅」から徒歩20分 |
公式サイトHP | https://www.ohmi-h.ed.jp/ |
創立 | 1938年4月1日 |
近江高等学校は2023年度から、普通科の中で4つのコースにわかれています。
2022年度まではプロスペクトコースが、普通科総合コースと商業科キャリアコースにわかれていました。
- アカデミーコース…国公立や最難関私立大学の現役合格を目指すコース
- グローバル探求コース…探求力や英語運用力の向上を特色としたコース
- アドバンスコース…「文武両道」をモットーに、難関大学を目指すコース
- プロスペクトコース…基礎学力を補強し、資格取得とスポーツを選択し学べるコース
偏差値はアカデミーコースが1番高く58、現在のプロスペクトコースが1番低く42となっています。
- 伊奈龍哉さん 元プロ野球選手
- 丸山亜季さん バレーボール選手
- 古井千恵美さん 元バレーボール選手
- 小熊凌祐さん プロ野球選手
- 植田海さん プロ野球選手
- 川畑愛希さん バレーボール選手
- 村西辰彦さん 元野球選手
- 竹内和也さん 元野球選手
- 島脇信也さん 元野球選手
- 木谷寿巳さん 元プロ野球選手
- 古野晃さん 大丸エナウィン 代表取締役社長
- 樋口侑希さん ミュージシャン(WOMCADOLE)
- 京山将弥さん プロ野球選手
- 植田 海さん プロ野球選手
- 林優樹さん 野球選手
- 土田龍空さん プロ野球選手
さすがスポーツの強豪校なだけあり、多くのスポーツ選手を輩出していますね。
塾2つも通ったのに滑り止め高校しか受からず…
スポーツが盛んな近江高等学校で、津田篤宏さんはフェンシング部に所属していました。
なんと滋賀県秋季大会では個人優勝を果たしています。
フェンシングにはエペ・フルーレ・サーブルの3種目ありますが、津田篤宏さんはフルーレで優勝しました。
充分有名な近江高等学校ですが、実は第一志望ではなく滑り止めで受けた学校でした。
津田篤宏さんが受けた当時、近江高等学校は偏差値41でした。
高校受験で偏差値41というと、かなり入りやすい印象ですよね。
相方のユースケさん曰く、第一志望の高校には「ヤンキーでもなく、真面目なのに落ちた」そう。
この頃学校は皆勤賞で塾には二つ通い、家庭教師までつけていました。
入試を受けた際、手ごたえはなかったそうですが、まさか落ちるはずはないと思っていたようです。
不合格であることが分かった後、家庭教師の先生は雨の中傘も差さないまま「(落ちたのは)私のせいです」と家まで謝りに来たといいます。
落ちた理由は定員オーバーだったそうです。
それも定員オーバーが1人のところ、津田篤宏さんが選ばれてしまいました。
手ごたえを感じていないながらも合格を確信していたということは、それほど余裕で入れる学校だったのかもしれませんね。
そんな学校に落ちてしまったのでは、ユースケさんにいじられ続けるのも頷けます。
第一志望で落ちた高校はどこ?
残念ながら第一志望だった高校は明かされていません。
しかし地元の工業高校に落ちたという情報があります。
調べたところ滋賀県には工業学科系の高校が3校あります。
そのうち津田篤宏さんの地元である、愛知郡愛荘町から比較的近い学校が2校あります。
それが、滋賀県立彦根工業高等学校と滋賀県立八幡工業高等学校です。
どちらも愛知川駅から電車で1時間ほどの場所にあります。
単純な距離だけでは、愛荘町から6kmほどの所にある滋賀県立彦根工業高等学校の方が近くにあります。
このことから、第一志望で落ちた高校は滋賀県立彦根工業高等学校が濃厚ではないでしょうか。
ちなみに滋賀県立彦根工業高等学校の偏差値は2023年現在43でした。
一般倍率は0.90~1.23です。
当時の倍率はわかりませんが、現在と同じくらいであれば「落ちるはずはない」と思ってしまうかもしれません。
津田篤宏の出身中学は愛知川町立愛知中学校
津田篤宏さんは、1989年4月から1992年3月まで愛知川町立愛知中学校に通っていました。
愛知川町は2006年に秦荘町と合併していて、現在は愛荘町立愛知中学校となっています。
部活動が盛んで、剣道部と柔道部は全国大会にも出場しています。
愛知川町立愛知中学校の概要
学校名 | 愛知川町立愛知中学校(現・愛荘町立愛知中学校) |
所在地 | 〒529-1313滋賀県愛知郡愛荘町市779番地 |
最寄り駅 | 近江鉄道「愛知川駅」から徒歩15分 |
公式サイトHP | https://www.town.aisho.shiga.jp/school/08_echityuu/index.html |
創立 | 1947年4月20日 |
中学校時代に相方ユースケとの運命的な出会い
相方であるユースケさんとは中学2年生か3年生の時に同じクラスになり、仲良くなりました。
お互いお笑い好きで、「ダウンタウン」や深夜番組の話をよくしていたそうです。
部活はバレーボール部に入っていて、そのバレー部の先輩がとても怖かったと語っています。
当時は部活中に水を飲んではいけないと言われていた時代、練習の途中でトイレに隠れて水道の水を飲んでいました。
そこに先輩が入ってきて、焦った津田篤宏さんはとっさに「先輩この水飲めますよ!」と媚びを売ったそうです。
そんな一言もむなしく、思いっきりビンタされてしまいます。
次の日から部活に行けなくなってしまいましたが、辞めた後もたまに呼び出されてボコボコに殴られたといいます。
そんな出来事よりも、更に恐ろしいことが津田篤宏さんの身に起こります。
技術の授業の時、津田篤宏さんはみんなと一緒にガムを噛んでいたのですが、一人だけ先生に見つかってしまいます。
スタスタとその先生は近寄り、思いっきりビンタしてきたそうです。
事はそれだけで終わらず、その授業中、休み時間、次の授業でほかの学年の生徒が教室にいるなか、ずっと同じ教室の一番後ろに座らされていました。
その間もときおり津田篤宏さんのもとにやってきては、ビンタをしていきました。
本人の体感で5分に1回はたたかれていたそう。
ユースケさんもその先生を覚えていて、かなり怖かったと記憶しています。
ユースケさんの記憶ではその先生は元自衛官だったそうです。
そういう時代だったとはいえ、5分に1回もビンタされたらトラウマになってしまいそうですね。
その他には、中学2年生の時に修学旅行で長崎へ行き、数年に1度の雪の中告白されたといいます。
ファーストキスは中学3年生の時と自身のYouTubeで語っていますが、ユースケさんに嘘だと言われていて真偽は定かではありません。
ちなみにコンビ名である“ダイアン”は、中学時代の英語の先生からとったそうです。
当時ユースケさんとは、「食いしん坊」というお好み焼き屋さんや、レンタルビデオ店によくいっていました。
ユースケさんが津田さんの家によく夜ご飯を食べに行っていたそうで、仲の良さがうかがえます。
縦社会の怖さを学んだり、恋愛したり、後の相方であるユースケさんと友情を育んだりと、とっても濃厚な3年間を過ごしていますね。
津田篤宏の出身小学校は愛知川町立愛知川小学校
津田篤宏さんは1983年4月から1989年3月まで愛知川町立愛知川小学校(現・愛荘町立愛知川小学校)に通っていました。
愛知中学校からは徒歩15分ほどの距離で、近くには中山道が通っています。
中山道は東京の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道で、この辺りは65番目の宿場町として栄えました。
愛知川町立愛知川小学校の概要
学校名 | 愛知川町立愛知川小学校(現・愛荘町立愛知川小学校) |
所在地 | 〒529-1315 滋賀県愛知郡愛荘町沓掛480 |
最寄り駅 | 近江鉄道「愛知川駅」から徒歩7分 |
公式サイトHP | https://www.town.aisho.shiga.jp/school/05_echisyou/index.html |
創立 | 1878年10月10日 |
サッカー少年だった小学校時代の津田篤宏
当時の写真はありませんでしたが、お子さんの写真を見つけました。
雰囲気が似ていますね。小学生の頃はこんな少年だったのでしょうか。
津田篤宏さんは小学校3年生の時から、地元の少年サッカーチームに入っていました。
小学3年生の頃は小学6年生に混ざってサッカーをするほど上手かったそうですが、小学4年生の頃にゲームにはまってしまって、上達しませんでした。
ユースケさんは小学校4年生の時に同じ少年サッカーチームに入りましたが、当時は顔見知り程度でした。
当時の津田篤宏さんの印象についてユースケさんは、「感情が豊か」だと感じたそうです。
試合で負け父親に怒られると、それに対して泣きながら怒って、すごい暴言を吐いていたとか。
どこか、今の芸風に通ずるものがありますね。
そんな怒りのエピソードは他にもあります。
小学生の頃お兄さんがウォークマンを買ってきて、家族に聞かせていました。
順番にまわってきて、いざ自分の番かと思いきや、お兄さんは「家族はこれで全員やな」と言って、津田篤宏さんには聞かせてくれなかったそうです。
怒った津田篤宏さんは、泣きながらそのウォークマンをドブ川に捨ててしまいました。
よくある兄弟喧嘩に感じますが、川に捨ててしまったのには驚きです。
このエピソードからも、その感情の豊かさを感じます。
ちょっとからかっただけであろうお兄さんも、買ったばかりのウォークマンを失うという悲しい結果になってしまいましたね。
まとめ
今回は津田篤宏さんの学歴と学生時代の様子を紹介してきました。
中学校は皆勤賞、塾に2つ通い家庭教師までつけ準備万端だった高校受験。
当然受かると思い、手ごたえはなくとも余裕でいたらまさかの第一志望の高校に落ちてしまいました。
しかし、滑り止めで受かった近江高等学校では、フェンシング部の県大会で個人優勝を果たしました。
勢いのあるツッコミと、番組の企画では体を張った芸も多い津田篤宏さん。
それは幼いころからの運動神経の良さと、豊かな感情表現が生かされているのではないでしょうか。
2018年の40歳で東京に進出し、2023年には“千鳥”“かまいたち”と共に27時間テレビの司会を務めるなど、人気芸人の仲間入りを果たした津田篤宏さん。
今後どのようなお笑いの世界を見せてくれるのか、期待が高まります。