日本を代表する名俳優、役所広司さん。
ハリウッド映画にも出演し、日本だけでなく世界でも活躍されている俳優さんです。
そんな役所広司さんは、長崎県の出身で地元の公立高校卒業なのをご存知ですか??
そして、高校卒業後はどういう経緯で俳優への道を進んだのでしょうか?
今回の記事では役所広司さんの学歴と若かりし頃の秘蔵エピソードを紹介していきます!
目次
役所広司の出身高校は長崎県立大村工業高等学校
役所広司さんは1971年4月に長崎県立大村工業高等学校へ入学し、1974年3月に卒業しています。
大村工業高等学校出身だという事は、公表されています。
長崎県立大村工業高等学校の概要(学部・偏差値)
学校名 | 長崎県立大村工業高等学校 |
学部・学科 | 機械科、機械システム科、電気科、電子工学科、建築科、建設工業科、化学工学科 |
偏差値 | 49 |
所在地 | 長崎県大村市森園町1079-3 |
最寄駅 | JR大村駅 |
公式HP | http://www.ohmura-th.ed.jp/ |
創立 | 1962年 |
長崎県大村市にあるの公立の工業高校です。
男子バレーボール部は、全国的にも有名です!
その為、プロのバレーボール選手の卒業生が多く輩出されています。
現在は工業系を中心に7つの学科があります。
しかし役所広司さんがいた頃は、機械科、電気科、化学工学科、建設工業科の4学科のみでした。
その中で、役所広司さんはどの学科に入っていたのかは、分かっていません。
高校卒業後は土木工事課に勤めているので、それに関連した学科かもしれないですね!
- 井出智さん(バレーボール選手)
- 菅直哉さん(バレーボール選手)
- 木原恵一さん(ものまねタレント)
高校時代の役所広司
役所広司さんは、高校時代もバスケットボール部に所属しています。
高校の文化祭では、バンド演奏もして、音楽も好きでした!
高校時代は、友人とフランス映画やイタリア西部劇をよく見に行っていました。
でも、当時は演技に興味があったわけではなかったそうです。
何がよかったの・・・?かというと、「エッチ・シーン」が目当てだったようです。
今の役所広司さんでは想像つかないですが・・・
あの役所広司さんも、昔は普通の男子高校生だったんですね!笑
当時は演劇について全く興味がなかったようで、文化祭で見た演劇部の演技に、気味悪さも感じていました。
実は役所広司さん、悪ぶっていて、煙草は高校時代に覚えたそうです!
通学の途中で自転車に乗りながら吸っていたという、猛者っぷりです。
当時は今のように厳しい規制はなく、ガバガバだったので、出来た事です。未成年の方、今は絶対しないでくださいね!身体にもよくありません。
高校卒業後は、上京して、東京都千代田区役所の土木工事課に、4年ほど勤めています。
公務員だったのです!
友人に連れられて、仲代達矢さん主演の舞台『どん底』を鑑賞し、感銘を受けたことで役者を志します。
1978年22歳の頃に、俳優養成所「無名塾」に入塾。
200倍という競争率の狭き門を突破して、見事に入塾しています!
実は「役所広司」とういう名前は芸名で、仲代達矢さんがつけてくれたそうです。
前職が役所勤めだったというのもありますが、“役どころが広くなるように”という思いが込められているそうですよ!
その名前の通り、現在では日本を代表する名俳優ですね!
1978年に俳優デビューした後は、1980年にはNHK連続ドラマ小説『なっちゃんの写真館』でテレビドラマデビューしています。
1990年 映画『オーロラの下』で初めて日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。
1996年の主演映画『Shall we ダンス?』は、日本で社交ダンスブームを巻き起こす程、大ヒットしました!
さらに同映画は、世界19か国でも公開され、アメリカでリメイクされています!
役所広司さんが演じた冴えないサラリーマンの役は、なんとリチャード・ギアさんが演じているのです。
役所広司さん、この映画でも日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞しています。
更にその翌年にも映画『うなぎ』で最優秀主演男優賞を受賞しました!2年連続の受賞ですね!!
2005年には映画『SAYURI』でハリウッドデビュー。
翌年には『バベル』2008年には『シルク』と、海外の監督作品にも続けて出演しています。
あのブラッド・ピットさんやキーラ・ナイトレイさんと共演されているのです・・・!
その為、海外での賞も多々受賞しています!
2012年には、紫綬褒章を、日本政府から贈られています!
いや、すごすぎます!!!!
もう、名俳優中の名俳優ですね!
役所広司さんは、実は歌も出しています!
当時はCDとかではなく、LPレコードでした。
ブレイク前だったので、発売枚数も少なかったようで、現在は全く手に入りません。
オーディションでは高額な値段がついていますよ!
役所広司の出身中学は諫早市立諫早中学校
役所広司さんは諫早市立諫早中学校に1968年4月に入学し1971年3月に卒業しています。
諫早市立諫早中学校の概要
学校名 | 諫早市立諫早中学校 |
所在地 | 長崎県諫早市西郷町930-1 |
最寄駅 | 島原鉄道 幸駅 |
公式HP | https://www.isahaya-snet.ed.jp/school/jh-isahaya/ |
創立 | 1947年 |
校区に、役所広司さん出身の諫早小学校が含まれています。
諫早市で一番歴史のある中学校で、生徒数も多く、部活の種類も豊富です!
その為か、色々なスポーツ選手の方も卒業されています。
- 内村航平さん(体操競技選手)
- 岩永麻里恵さん(バレーボール選手)
中学校時代の役所広司
中学校時代の役所広司さんは、高身長を活かしてバスケットボール部に所属していました!
また、ギターを手に入れてフォークソングの弾き語りもしていました。
中学の頃から音楽が好きだったんですね!
役所広司さんは5人兄弟の末っ子で、実家はジュースの工場を営んでいます。
子どもの頃を「男ばかりの5人兄弟で、両親は食わせるのに精いっぱいだった。」と語っています。
末っ子だったので、洋服もお下がりばかりでした。
しかし、しっかりお父さんのお仕事を手伝っていたのです!
映画館にジュースを配達に行き、映画館の人に「映画を観て行っていいよ」と言われ、映画を楽しんでいたそうです。
昔だからできる、素敵なエピソードですね!
映画の世界に触れられたのは、お父さんの経営する工場のおかげだったんです!
当時から映画を見る事で、俳優というお仕事に親しんでいたのかもしれません。
役所広司の出身小学校は諫早市立諫早小学校
役所広司さんは1961年4月に諫早市立諫早小学校へ入学し、1968年3月に卒業されています。
諫早市立諫早小学校の概要
学校名 | 諫早市立諫早小学校 |
所在地 | 長崎県諫早市沖仲町457-4 |
最寄駅 | 島原鉄道 幸駅 |
公式HP | http://www.isahaya-snet.ed.jp/school/e-isahaya/ |
創立 | 1872年 |
役所広司さんは長崎県諫早市出身です!
なので、地元の小学校に入学されたんですね!
小学校時代の役所広司
小学生時代の役所広司さんは、ヤンチャな子どもで、よくケンカをしたそうです。
小学校時代の通知表に、「熱しやすくさめやすい性格」とよく書かれていました。
でも小学校6年生に書いた自作の詩「ばつの草取り」が朝日新聞長崎版に掲載されたのですよ!
この作品は、役所広司さんの本名”橋本広司”さんの名前で記載されています。
学校名も”諫早小学校”と書かれています。
役所広司さん、1956年1月1日生まれと公表されています。
しかし昔は出生に関して、きちんと管理されていなかったのです。
その為、実際に産まれた日と、届け出た日には、多少のずれがあったようです。
年末だと、”終わる。切れる。”と考えられ、”家計を途絶えさせる子ども”だと困るので、縁起の良いお正月生まれにしたそうです。
縁起を考えて誕生日をずらす事は、昔はさほど珍しくなかったようですよ!
役所広司さんの幼少期のお話って、実はあまりありません。(汗
ただ、やはり映画館のお話は度々出てきます。
現在の職業と直結するお話なので、話題に出やすいのかもしれません。
物心ついた頃にはもう実家のお手伝いをしていました。
なので、映画館には小学校の頃から通っていたのでしょう!
役所広司さんにとって幼少期の頃も映画館は特別な場所でした。
当時は田舎の小さな街の中心に、映画館はたくさんありました。
普段は大人がいっぱいで、煙草の煙が充満しているような場所だったのです。
今とは全然違いますね!
でも、そんな映画館でも、日曜日になると子ども向けのプログラムが組まれて、怪獣映画等が見られたのです!
何十円で見られるので、場内は子どもであふれかえっていたそうですよ!
溢れすぎて、映画館内に入れない事もありました。
そんな時は、音が聞こえる隙間から、のぞき見していました。
クレージーキャッツの『無責任』シリーズを見て、大都会の風景に憧れたそうです。
高校卒業後の上京は、この頃からの憧れによるものだったのかもしれないですね!
日本映画ばかり見ていたそうですが、思春期にはフランス映画がお気に入りでした。
特に好きだったのは、ナタリー・ドロンさんの『個人教授』です。
こ・・これは、ジャケットからして、小学生が見ても良い内容なのでしょうか・・・?!
ドキドキしてしまいそうな、映画ですね!
お色気もあったそうですが、恋愛についても映画で勉強していたそうです。
役所広司さんが、俳優を目指したのは、若い頃に映画を通じて、色々学んだ事がきっかけなのかもしれません。
しかし当時は、まさか自分が俳優として生活できるとは思っていませんでした。
いつの時代にも、人々を魅了するような「不朽の名作」と呼ばれる作品と出会って、役者人生を終えられたら幸せです。と語っている、役所広司さん。
常に全力投球で、見てる人々を意識しながら演じているからこそ、今では”名優”として呼ばれるようになったのかもしれません。
その魂は、幼少期から見ている映画に、役所広司さん自身が影響を受けていた事から産まれているのかもしれないですね。
まとめ
役所広司さんは小さい頃から映画が身近にあり、俳優としても映画を中心に活躍していました。
2023年現在、67歳の名俳優役所広司さん。
日本映画の継続のために、若い才能の育成が必要だと訴えています。
さらには、自分が死んだ後、50年100年後も上映されて愛される作品に参加したい。と語っています。
今までもすでに名作を生み続けてきたと言っても過言ではないですが、更にこれからも俳優として名作を生み続けてくれるんだろうと・・・
願ってやみません。これからの活躍も、期待しています!