2021年に第100代内閣総理大臣のファーストレディとなった岸田裕子さん。
ファーストレディといえば日常生活を支えるだけでなく、総理大臣と共に各国の代表をもてなしたり、外国訪問に同伴したりと様々な能力が求められますよね。
何かとその動向が注目されるファーストレディ。
今回岸田裕子さんについて調べてみると、お嬢様学校出身でその名に恥じぬエリート街道を歩んできたことがわかりました。
その華麗なる学歴を、詳しくご紹介していきます。
目次
岸田裕子は元マツダ役員秘書で英語力も堪能
岸田裕子さんは大学卒業後の1987年4月、マツダ株式会社に入社しました。
マツダといえば、誰もが知る日本の大手自動車メーカーですよね。
そのマツダで岸田裕子さんは、当時副社長だった和田淑弘さんの役員秘書を務めていました。
役員秘書は一般的な秘書よりも求められるものが多くあります。
スケジュール管理や雑務に加え、重要情報の日常管理や、緊急課題への助言など役員の業務そのものにも深く関わります。
副社長の秘書ということで、副社長と同等のレベルで事業を理解したり、時には副社長以上の情報能力を求められていたのではないでしょうか。
またマツダのように海外にも進出している企業は、特に語学力も求められます。
岸田裕子さんは英語が堪能であることが知られていて、そういった点でも重宝されていたと思われます。
とても優秀でなければ務まらない仕事ですね。
ファーストレディーとしての能力は、この役員秘書時代に培われたものなのかもしれません。
まさに“縁の下の力持ち”ですね。
岸田裕子の出身大学は東京女子大学
岸田裕子さんは1983年4月から1987年3月まで東京女子大学文理学部日本文学科に通っていました。
東京女子大学といえば“とんじょ”の愛称で知られ、お嬢様学校で有名です。
津田塾大学、日本女子大学と共に、日本3代女子大の一つに数えられています。
東京女子大学は、北米のプロテスタント諸教派の援助を受け開校された、キリスト教の教えを主軸としている学校です。
また、その時代で自由に生きるための学問であるリベラルアーツ教育を行っています。
創設者は旧5千円札としての印象が強い、新渡戸稲造さんであることでも有名です。
東京女子大学の概要(学部・偏差値)
学校名 | 東京女子大学 |
学部・学科 | 現代教養学部のみ・全5学科 |
偏差値 | 42.5~52.5 |
所在地 | 〒167-0041 東京都杉並区善福寺2丁目6−1 |
最寄り駅 | JR中央線、東京メトロ東西線『西荻窪駅』から徒歩12分 |
公式サイトHP | https://www.twcu.ac.jp/main/index.html |
創立 | 1918年 |
現在は現代教養学部のみで、全5学科が設置されています。
- 国際英語学科
- 人文学科
- 国際社会学科
- 心理・コミュニケーション学科
- 数理科学科
岸田裕子さんが在学していたころは、文理学部のみの設置でした。
現在日本文学専攻がある人文学科の偏差値は50.0~52.5となっています。
1983年の偏差値データは見当たりませんでしたが、1981年の文理学部日本文学科は、58となっていました。
- 多部未華子さん 女優
- 原田佳奈さん 女優
- 森英恵さん ファッションデザイナー
- 瀬戸内寂聴さん 尼僧
- 森川久美さん 少女漫画家
- 今市子さん 漫画家
- 近藤麻理恵さん 片付けコンサルタント
- 山本麻里安さん 声優
- 大島かおりさん 翻訳家
- 森香澄さん アナウンサー
誰もが知る有名な方々が卒業されていますね。
大学生時代の岸田裕子
岸田裕子さんは実家が広島県にあり、大学1年生の時は寮で生活していました。
その後のことは書かれていませんでしたが、恐らく一人暮らしをしていたのではないでしょうか。
その他の大学時代の岸田裕子さんに関するエピソードは、残念ながらありませんでした。
マツダに入社した1年後の1988年に岸田文雄さんとお見合いをし、結婚されています。
当時の岸田裕子さんも、とてもお綺麗ですね。
お見合いのきっかけは、両家の祖母同士が学生時代の友人だったからだそうです。
何か、運命的なものを感じますね。
大学生のころから上京していたこともあってか、岸田裕子さんはお料理が得意だそうです。
岸田文雄さんは、岸田裕子さんが作ってくれるお好み焼きが大好きだとインスタライブで語っていました。
帰宅すると、妻の裕子がお好み焼きを作ってくれていました。インスタライブで私が、「妻の作ってくれるお好み焼きが大好きです」と言っていたからです。
いつも最高に美味しいけど、今日は、一生忘れられない美味しさでした。ありがとう。 pic.twitter.com/vsBesywmCG
— 岸田文雄 (@kishida230) September 29, 2021
とっても美味しそうですね。
岸田文雄さんも、岸田裕子さんも同じ広島出身ということで、バッチリ広島のお好み焼きです。
他にも、なすカレーと豚汁が家族に好評だといいます。
こう言ってはなんですが、庶民的なお料理でとっても親近感が湧きました。
岸田裕子の出身中学・高校は広島女学院中学高等学校
岸田裕子さんは1977年4月から1983年3月まで、私立広島女学院中学高等学校に通っていました。
広島女学院中学高等学校はキリスト教に基づいた教育を行っていて、中国地方では最も古いミッションスクールです。
広島県の名門校で、伝統のあるお嬢様学校です。
国際交流や平和活動に精力的で、2006年には学校法人としては初の谷本清平和賞を受賞しました。
国際交流に関しては、オーストラリアやミャンマー、カンボジアなど海外研修が充実しています。
それに伴う語学力も、中高6年間を通ししっかりと身に着けていくことが出来る学校です。
岸田裕子さんの英会話能力は、この広島女学院中学高等学校で磨かれたのかもしれませんね。
なお完全中高一貫制となっていて、高校から入学することはできません。
広島女学院中学高等学校の概要(学部・偏差値)
学校名 | 広島女学院中学高等学校 |
学科 | 普通科 |
偏差値 | 47 |
所在地 | 〒730-0014 広島県広島市中区上幟町11−32 |
最寄り駅 | JR『広島駅』から徒歩12分 |
公式サイトHP | http://www.hjs.ed.jp/ |
創立 | 1886年 |
- 長谷川康子さん 女優
- 田中路子さん 女優 声楽家
- 杉村春子さん 女優
- 杉浦圭子さん アナウンサー
- 大国和江さん 弁護士
- 松来未祐さん 声優
- 内藤礼さん 現代美術科
- 田村麻美さん 参議院議員
- 大小田結貴さん 天文学者
長谷川康子さんや杉村春子さんなど、演劇界の歴史的な方々も広島女学院中学高等学校出身であることに驚きました。
その他にも多方面で様々な方が活躍されていますね。
高校時代の岸田裕子
地元である広島県三次市から、広島市までは電車で2時間ほどかかるため、中学・高校と、岸田裕子さんは6年間寮で過ごされていました。
(現在の広島女学院中学高等学校に寮はありません。)
早くから親元を離れたことで、自立心が養われたといいます。
岸田裕子さんには3人の息子さんがいらっしゃいますが、夫である岸田文雄さんが東京で仕事をしていたこともあり、広島県で一人子育てをしていました。
それを乗り越えられたのも、自分のことは自分でやるというこの頃の生活があったからだそうです。
いわゆるおしとやかなお嬢様という印象が湧く岸田裕子さんですが、高校時代は水泳部に所属し、部活動に打ち込んでいました。
頭もよく、運動もでき、まさに完璧なファーストレディですね。
現在多忙な中でも、広島女学院中学高等学校の同窓会本部幹事をされています。
2022年には3年ぶりとなる同窓会が開かれていました。
政治家の妻としての働きだけでなく、母として、また岸田裕子さん個人として、多方面に奔走されていて、とてもパワフルな方だと感じました。
中学校から大学まで“お嬢様学校”に通っていた岸田裕子さんですが、そのご実家が気になるところですよね。
調べてみると、岸田裕子さんの父親は広島県三次市で『三次開発興業株式会社』という会社を経営していることがわかりました。
主にビルや事務所の賃貸を行っている、不動産会社です。
1969年4月に設立されましたが、現在は残念ながら閉業されているようです。
社長令嬢ということで、紛うことなきお嬢様ですね。
そして岸田裕子さんの旧家は造酒業や銀行業を営んでいたこともあり、代々お金持ちの家系だったようです。
また三次市には『和田』という資産家がおり、広島県有数の大地主『和田家』が存在しました。
岸田裕子さんの旧姓は『和田裕子』であるため、何かしら関係があったのかもしれません。
岸田裕子の出身小学校は三次市立十日市小学校
岸田裕子さんは1971年4月から1977年3月まで、三次市立十日市小学校に通っていました。
三次市立十日市小学校は、2024年に創立150年を迎える歴史のある学校です。
この三次市周辺は中国地方の中心部となっていて、河港として栄えました。
学校の目の前にも馬洗川が流れていて、その近くにも西城川と江の川が流れる自然豊かな土地です。
晩秋から早春にかけて霧が発生しやすく、地元の人たちからは“霧の町”とも呼ばれています。
三次市立十日市小学校の概要
学校名 | 三次市立十日市小学校 |
所在地 | 〒728-0012 広島県三次市十日市中4丁目9−1 |
最寄り駅 | JR芸備線『三次駅』から徒歩10分 |
公式サイトHP | http://www.school.miyoshi.hiroshima.jp/elementary/tokaichi/ |
創立 | 1874年5月 |
小学校時代の岸田裕子
小学生時代、岸田裕子さんは児童会役員を務めていました。
同級生によると当時の岸田裕子さんは“おとなしめで、勉強がよくできた。よく気が付き、側面でしっかり支えるタイプ。”だったといいます。
小学生の頃から、周りを支える能力に秀でていたのですね。
内閣総理大臣を支える重要な立場にあるファーストレディに、なるべくしてなったと感じずにはいられません。
岸田裕子さんには、兄と弟がいます。
男兄弟に挟まれて育ったこともあり、小さいころから「男には負けないぞ」という気持ちがあったそうです。
そのため自分の性格を“情熱的”であると表現しています。
やると決めたら目標に向かって突き進み、逆に燃えるものがないとだらけてしまうといいます。
特に中学受験と大学受験は燃えたそうで、人生のスイッチは岸田文雄さんと結婚してから入りました。
かなりストイックな印象を受けますが、このくらいのメンタルがなければ、全くの無縁である政界を渡り歩くことは困難かもしれませんね。
英語が堪能であることでも有名な岸田裕子さん。
2016年と2023年に行われたG7広島サミットでは、流暢な英語で外相夫人たちと会話している様子も見られました。
そんな岸田裕子さんの英語教育は、なんと幼いころから始まっていました。
具体的な年齢は不明ですが、幼いころから英語が好きで個人レッスンを受けていたといいます。
幼いころから英語に触れ、中学校から大学までも国際色豊かな学校で学んだことが、今の外交力に繋がっているのですね。
また小学生時代のエピソードではありませんが、3歳の頃叔母の影響で初めて茶道というものを知ったといいます。
当時叔母に教えてもらったそうですが、その後続けることはありませんでした。
しかし43歳の時に再び茶道と出会い、現在まで続けられているということです。
岸田裕子さんとお茶といえば、2022年に日本で行われたアメリカとの首脳会談で、バイデン大統領にお茶をふるまったことが話題となりました。
茶道を始めてから、着物も着られないと話にならないと着付けも学んだそうです。
綺麗に着物を着こなしていらっしゃって、とても美しいですね。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は岸田裕子さんの学歴について、ご紹介してきました。
岸田裕子さんは広島でも名門と知られる、『広島女学院中学高等学校』に通い、大学は日本3大女子大である『東京女子大学』に進学しているエリートであることがわかりました。
また、卒業後は大手自動車メーカーの『マツダ株式会社』に入社し、副社長の役員秘書を務める優秀さです。
幼いころから英語好きで国際色豊かな学校で学んできたことが、現在のファーストレディとしての役割をこなす一助となっています。
小学校の児童会役員では周りを支え、男兄弟の中で「男には負けないぞ」という屈強なメンタルを身に着け、今では国の柱である内閣総理大臣を支えるまでに至りました。
今後その外交力を使い、どんな手腕を見せてくれるのか期待が高まります。