よく響く低音ボイスと、整った顔立ちに高身長が印象的な芸人、川島明さん。
『第1回M-1グランプリ』では、22歳という若さで決勝進出を果たす実力も兼ね備えています。
2021年からは朝の情報番組『ラヴィット!』のMCも務めるなど、精力的に活動されていますよね。
それ以外にも多くのMCを務め、機転の利いた切り返しやフリートークの面白さで、頭の良さが窺える川島明さん。
実は大学に進学はせず、高卒であるのをご存じでしょうか。
今回はそんな川島明さんの学歴を、エピソードと共にご紹介します。
目次
川島明の出身高校は京都府立莵道高等学校
川島明さんは、1985年4月から1991年3月まで京都府立莵道(とどう)高等学校に通っていました。
大学と連携し講座を開いていて、最先端の研究を学ぶことができます。
シンガポールやマレーシアでの研修も行っていて、とても教育熱心な学校です。
それだけではなく、部活動は70%の生徒が入部していて、弓道部は日本代表選手も輩出するなど、文武両道を目指しています。
また、テレビアニメ『響け!ユーフォニアム』に登場する北宇治高校のモデルにもなったことで有名です。
京都府立莵道高等学校の概要(学部・偏差値)
学校名 | 京都府立莵道高等学校 |
学科 | 普通科 |
偏差値 | 55 |
所在地 | 〒611-0011京都府宇治市五ケ庄五雲峰4-1 |
最寄りのバス停 | 京都京阪バス「莵道高校」から徒歩2分 |
公式サイトHP | https://www.kyoto-be.ne.jp/todou-hs/mt/ |
創立 | 1985年4月1日 |
川島明さんが通っていた当時は、標準コースのⅠ類と学力伸長コースのII類にわかれていました。
II類では7時限まで授業をし、夏休み中に4泊5日の学習合宿を行っていて、宇治市、久御山町で最も進学実績の良い府立高校となりました。
- 米田貴紀さん ミュージシャン(夜の本気ダンス)
- 縣 千さん 宝塚歌劇団
- こやまたくやさん ミュージシャン(ヤバいTシャツ屋さん)
高校時代の川島明
高校時代、川島明さんは暗く、地味な少年でした。
人付き合いが苦手で友達がほぼおらず、学校で喋った言葉は「はい」「いいえ」「あ…僕、川島です。」くらいだったといいます。
中学校の頃仲の良かった友達は、違う学校やエリートクラスに行ってしまったそうです。
そんな高校時代、どれだけ地味だったかがわかるエピソードがあります。
学校でスキー合宿があった時、5分遅れで待ち合わせ場所に行くとすでにバスは発車し、置いていかれてしまいました。
幸い信号待ちをしているバスを見つけ必死でアピールをし乗せてもらえましたが、乗せ忘れた先生は苦し紛れに「川島も旅行に興味あったんだ」と言いました。
まさかの、いないことに気づいてもらえなかったというエピソード。
これはかなりショックですね。
他にも、24歳になった頃同窓会が開かれ川島明さんも参加しました。
しかし会場では、「何故『麒麟』の川島がここにいるんだ」とザワザワしています。
悲しいことに誰も川島明さんのことを覚えていなかったそうです。
確かに高校時代の様子からは、今の芸人をしている姿は想像できませんね。
そんな川島明さんも、やはり女の子にはモテたかったようで、眼鏡をとってコンタクトにします。
しかしハードコンタクトレンズを入れるので目が怖くなってしまい、結局その怖さをやわらげるために上から伊達眼鏡をかけていたそう。
残念ながら、モテ作戦は失敗に終わりました。
17歳の頃はスーパーでアルバイトをしていた川島明さん。
日用雑貨の陳列や、補充、在庫管理を任されていました。
陳列の仕方や、ポップの書き方ひとつで売り上げが変わることにやりがいを感じ、顧客分析をするなど熱心に働いていました。
高校生のアルバイトで、顧客分析までしているというのは、その真面目さが窺えますね。
こういった真面目さが、情報番組のMCの仕事などに繋がっているのかもしれませんね。
この頃の唯一の楽しみは、深夜ラジオにハガキを投稿し採用されることでした。
大学に進学しなかった理由とは?
川島明さんは、そもそも大学に行く気が全くなかったそうです。
本当は、中学校を卒業したらすぐにでもお笑いの勉強をしたかったといいます。
しかし、高校も卒業していないというのは両親が嫌がると思い、とりあえずで高校に進学しました。
そのため勉強もせず、授業中は絵を描いたり、中学生の頃からはまっていた競馬のオリジナル新聞を作ったりしていたそうです。
頭がいいのに大学に進学しなかったのは、芸人になるという確固たる思いがあったからなのですね。
高校を卒業後は、NSCの入学金を貯めるため半年間アルバイトをし、その後入学しました。
川島明の出身中学は宇治市立宇治中学校
川島明さんは、1991年4月から1994年3月まで宇治市立宇治中学校に通っていました。
宇治中学校は宇治市の中心部にあります。
近くには世界遺産にも登録されている平等院や宇治上神社があるなど、観光地となっています。
吹奏楽部がとても有名で、全国大会の常連校です。
運動部もソフトボール部や、陸上部が全国大会で活躍しています。
宇治市立宇治中学校の概要
学校名 | 宇治市立宇治中学校 |
所在地 | 〒611-0021京都府宇治市宇治矢落64-1 |
最寄り駅 | JR奈良線 「宇治駅」から徒歩6分 京阪宇治線 「宇治駅」から徒歩15分 京都京阪バス 「総合庁舎前」から徒歩2分 |
公式サイトHP | http://www.uji.ed.jp/uji-jhs// |
創立 | 1947年4月 |
- 岡崎体育さん 歌手
- 冠徹弥さん 歌手(THE冠)
- こやまたくやさん ミュージシャン(ヤバイTシャツ屋さん)
- 小谷内秀夫さん 元中央競馬騎手
- 根来将光さん 元関西ジャニーズJr.
- 吉川勝成さん 元プロ野球選手
- 赤染晶子さん 作家
- 池本凪沙さん 水泳選手
- 櫛田育良さん フィギュアスケート選手
- 吉田陽菜さん フィギュアスケート選手
普通の公立中学かと思いきや、ミュージシャンからスポーツ選手まで多くの有名人が卒業していますね。
中学校時代の川島明
中学校に入ってからあまり人と喋らなくなり、何か一人で考えることが好きだったそうです。
そんな川島明さんですが、女の子と喋りたいという気持ちはあったそうで、気を引くために消しゴムを落としてみたり、独り言をつぶやいたりしていたといいます。
その努力もむなしく、「お前、ひとりごとえげつないな」と一蹴されてしまいました。
今の川島明さんからは、想像できない姿ですね。
中学校時代、川島明さんは『マスカット』というあだ名で呼ばれていました。
遠足のバスで隣の女の子がマスカットを粒のまま吐き出してしまったとき、良かれと思って拾ってあげたといいます。
しかし女の子はなぜ拾うのかと泣いてしまい、それから泣かせてしまった川島明さんを周りが『マスカット』と呼ぶようになったそうです。
呼び名に関するエピソードは他にも。
川島明さんは自転車が好きで、美味しいパン屋さんをたくさん知っていたそうです。
朝、みんなが知らないパン屋さんでパンを買い、お昼休みに食べていました。
それを見たクラスメイトが、それを売ってほしいと言ってきたといいます。
それが広がり、多いときはなんと1日に20個のパンを売っていました。
そのためその頃の呼び名は『業者』になってしまったそうです。
川島明さんは、中学校、高校と部活はサッカー部に所属していました。
入部の理由は、友達が入ったからだそうです。
しかし、「運動神経悪い芸人」としても有名な川島明さん。
当時も当然運動は苦手だったようで、スネでボールを蹴ったり、手でボールを持ってしまったり、珍プレーの連続でした。
スパイクも最初陸上用のスパイクを買ってしまい、そのままスライディングした際「殺す気か!」と先輩に強烈なビンタをされたと語っています。
部員は13人しかいないのに常に補欠で、負傷者が出た時が唯一試合に出られるチャンスでした。
しかしその貴重な機会に破れたスパイクで出てしまい、審判からイエローカードをもらってしまったそうです。
悲しいことに、それが最後の試合となりました。
今でこそ179㎝の高身長で、低音ボイスが魅力的な川島明さんですが、中学生の頃は147㎝しかなく、声も高くコンプレックスでした。
しかし、中学2年生の時に1週間声が出なくなり、その後急に現在の声になったといいます。
変声期の頃の男性陣のギャップは凄まじいものがありますよね。
ただでさえ違和感があるのに、平均より高めの声だった子がいきなり綺麗な低音ボイスに変わったらビックリしますね。
中学生の頃には、すでに芸人になることが進路であった川島明さん。
しかし、一度はその現実離れした夢に、叶うはずがないと諦めそうになります。
そんな時、小学生の頃からはまっていた『京都発!よしもと決死隊』というラジオを聴いていました。
パーソナリティは“雨上がり決死隊”と“バッファロー吾郎”。
そのラジオの中で、宮迫博之さんはバッファロー吾郎Aさんに、ラジオでやっても意味がないような絡みをしていたそうです。
しかしバッファロー吾郎Aさんは、それをものともせず大爆笑を巻き起こしました。
ラジオという限られた空間の中で、大爆笑の渦を巻き起こしたバッファロー吾郎Aさんに感動し、「この人たちと仕事をしたい」と思うようになり、再び芸人を目指し始めたのです。
バッファロー吾郎Aさんがいなければ、今の川島明さんは存在していなかったということですね。
それをまた有言実行してしまうのが、すごいところです。
ラジオは聴くだけではなく、番組にネタハガキを数多く投稿する、いわゆる“ハガキ職人”をしていました。
しかし最初の頃はお笑い番組では全く読まれず、本当に届いてるのか確認するため、他の番組にも出し始めたといいます。
そのうちの一つが早朝におじいさんがやってる俳句番組。
若い子が送ってくることに物珍しさもあったのか、その俳句番組で何度も採用されるようになり、自分のハガキが読まれる喜びを知ったそうです。
いかに読まれるようなハガキを書くか、その過程が今のネタ作りにも強く活かされているのかもしれませんね。
川島明の出身小学校は宇治市立菟道小学校
川島明さんは、1994年4月から1997年3月まで宇治市立菟道小学校に通っていました。
宇治中学校からは徒歩16分ほどの距離にあり、近くには宇治川が流れています。
2023年には創立145年を迎えた、とても歴史のある学校です。
宇治市立菟道小学校の概要
学校名 | 宇治市立菟道小学校 |
所在地 | 〒611-0021京都府宇治市宇治塔川102番地 |
最寄り駅 | JR奈良線 「宇治駅」から徒歩20分 京阪宇治線 「宇治駅」から徒歩20分 |
公式サイトHP | http://www.uji.ed.jp/todou-es// |
創立 | 1878年8月 |
川島明さんが通っていたころは、学校の赤い蛇口からお湯ではなくお茶が出ていたそうです。
掃除の際もお茶を使うしかなかったとか。
宇治は言わずと知れた日本三大茶の産地で、宇治市内では蛇口からお茶が出るのが常識です。
2022年時点でも全22校ある小学校のうち20校に、お茶飲み場が設置されています。
宇治のおいしいお茶がいつでも飲み放題というのは、とっても羨ましいですね。
小学校時代の川島明
川島明さんは、なんと5歳の頃から芸人になることを夢見ていました。
というのも、両親がお笑い好きで、旅行するのに借りたバスの中で流れていたビデオは『今いくよ・くるよベスト漫才』という、まさにお笑いの英才教育を受けて育ちました。
今くるよさんの、可愛くて面白い部分に惹かれた川島明さんは、これが初恋だったといいます。
テレビをつければ芸人が出ていて、キャーキャー言われている時代、「なんでみんな、やらへんのやろ?」と思うくらい自然な形で芸人を目指すようになりました。
小学校では、クラスメイトが“ダウンタウン”の真似をして人気者になっていましたが、そんな姿を見て川島明さんは
「それはホンマの笑いじゃない。自分で作ってないのに、クラスの人気者ってちゃうやろ。」
と思っていたそうです。
この頃から、お笑いに対してストイックなのが伝わってきます。
幼いころから芸人を目指していた川島明さんですが、当時はテスト中に消しゴムを落としたことすら先生に言えないくらい、目立ちたくなかったと語っています。
しかし本人の中でそこに矛盾はなく、おもしろいネタはいつも考えていたそうです。
そんな川島明さんは、大のおばあちゃん子。
当時祖母からは『ベリーグッドマンちゃん』と呼ばれていました。
小学校3年生までは外国人の子供のようにかわいく、ご近所でもアイドル的存在だったといいます。
祖母は漬物屋を営んでいて、おやつは京漬物でした。
閉店業務も毎日のように手伝っていて、祖母も孫の中で川島明さんを1番可愛がっていました。
(それは何故か実兄の結婚式で明言されたそうです。)
しかし毎日顔を合わせていると、ケンカにもなります。
祖母は怒った時漬物石を振りかぶって投げてきたそうで、それ以来怒らせてはいけないと、胸に止めたといいます。
とってもパワフルなおばあちゃんだったんですね。
おばあちゃんだけでなく、川島明さんのご両親にも少しクセのあるエピソードがありました。
小学5年生の頃、眼鏡欲しさに授業参観で母親に向かって「黒板の字が見えづらくて困ってる」アピールをしていた川島明さん。
目を見開いたり、全身を使って必死にアピールをしすぎて、母親は川島明さんが何かに憑かれていると疑い、なんとお寺へ連れていかれてしまったそうです。
そんなまさかと思うエピソードですね。
勘違いをするほど凄まじい動きだったのでしょうか。
とても気になります。
父親は塗装業をしていて、とても厳しかったそうです。
ある日川島明さんが片思いしていた女の子に年賀状を書いていた時のこと。
その女の子はドラゴンボールの登場人物、“ピッコロ大魔王”が好きだったそうで、絵の得意な川島明さんは、年賀状にピッコロ大魔王を描きました。
それを見た父親にピッコロ大魔王を描いたことを伝えると、「正月から魔王はあかん!」と言って、破り捨てられてしまったそうです。
確かに!魔王はお正月には縁起が悪いですね。しかし、そこ?!とツッコんでしまいたくなります。
そんなご両親ですが、高校卒業後にNSCに通う際は、その熱意を認め川島明さんを送り出しています。
まとめ
小学生の頃から目立つことが好きではなかった川島明さん。
中学、高校と友達もあまりおらず、地味な学校生活を送っていました。
しかし、芸人になりたいという夢は5歳の頃から抱いていました。
つねに面白いネタを考えていたというストイックさ。
中学生の頃一度は諦めかけましたが、大好きなラジオ番組を聞いて芸人への夢を確固たるものとしました。
中学校を卒業してすぐに芸人になることも考えましたが、両親のことを考え高校へ進学します。
芸人になること以外頭になかった川島明さんは、大学へ行くことは全く考えず、そのままNSCへ入学しました。
小さいころから抱いていた夢を実現し、更にここまで芸人として大成するというのは本当にすごいことですね。
友達はあまりいなかったという川島明さんですが、一人で黙々と何かをするのが好きだからこそネタの引き出しをたくさん持っていて、それをここぞというところで発揮できているのかもしれませんね。
漫才だけではなく、朝の情報番組のMCを務めるなど活動の幅を広げている川島明さん。
今後、その頭脳から一体どんな笑いが生み出されていくのか楽しみです。