【学歴】かまいたち濱家隆一の大学中退はデマ!ヤンキー高校で偏差値46ww

2017年にキングオブコント優勝、2019年にはM-1グランプリ準優勝という、華々しい経歴を持つ“かまいたち”の濱家隆一さん。

2023年8月時点で、12本ものレギュラー番組をこなす売れっ子芸人です。

 

また187㎝と高身長であることも有名で、2022年には“PUFFY”の大貫亜美さんがプロデュースしているアパレルブランド『ROMPUS』のモデルを務めていました。

多方面で大活躍の濱家隆一さん。

 

大学を中退しているとの噂がありましたが、調べてみるとそれはデマであり、高校が最終学歴であることがわかりました。

さらにその高校がヤンキー高校であり、濱家隆一さん自身もヤンキーの過去がありました。

 

今回はそんな濱家隆一さんがどんな学校に通っていたのか、エピソードと共にご紹介していきます。

濱家隆一の出身高校は大阪府立茨木東高等学校

濱家隆一さんは、1999年4月から2002年3月まで大阪府立茨木東高等学校に通っていました。

残念ながら茨木東高等学校は2007年4月に鳥飼高等学校と統合され、2009年3月に完全に閉校となりました。

 

現在は『北摂つばさ高等学校』という名前になっています。

茨木東高等学校では、個人を尊重し豊かな人間性を育む教育を行っていました。

 

学校行事や部活動に力をいれていたようです。

部活では珍しい“ユネスコ部”が存在しました。

大阪府立茨木東高等学校の概要(学部・偏差値)

学校名 大阪府立茨木東高等学校
学科 普通科
偏差値 46
所在地 〒567-0848 大阪府茨木市玉島台2−15
最寄りのバス停 近鉄バス『茨木東高校前(現 北摂つばさ高校前)』下車
公式サイトHP https://www.osaka-c.ed.jp/ibarakihigashi/
創立 1979年6月12日
主な卒業生
  • 神房佳希さん 元宝塚歌劇団花組男役
  • はまやねんさん お笑い芸人(8.6秒バズーカー)
  • 廣瀬騎優さん ハンドボール選手
  • 松尾一さん サッカー審判員
  • 山内嘉弘さん 元プロ野球選手(阪急ブレーブス)
  • ラックライフさん ロックバンド
  • デビさん お笑い芸人(ニュークレープ)
  • Hilty&Bosch プロダンサー(YOU・ZIN)

プロダンサーのHilty&Boschのお二人とは、現在も交流があります。

Hilty & Boschのお二人は、濱家隆一さんの2学年先輩になります。

高校時代の濱家隆一

濱家隆一 高校時代

引用元:Instagram

こちらが高校時代の濱家隆一さんです。

今のさわやかな風貌からは想像のつかない、ヤンキー姿ですね。

 

これでも高校生時代は中学生までと比べると、だいぶ落ち着いていたそうです。

それでもやはり金髪にピアスが5個空いていて、更にはアイプチをしているということで、先生からは目をつけられ、度々呼び出されては指導を受けていました。

 

そんな濱家隆一さんですが、実は野球部のキャプテンで投手を務めていました。

この風貌で野球部キャプテンは、とっても意外です。

 

勝負球はストレートとカーブで、高身長を活かした球速は、最速135km/hだったといいます。

高校生の球速の平均は115km/hで、120km/hでもエースと言われるので、そのすごさがわかりますね。

しかし茨木東高等学校の野球部は弱小野球部で、濱家隆一さんが在籍中は9割9分で試合に負けていました。

濱家隆一さん自身も野球があまり上手くなく、実は投手も2番手。

 

高校3年生の最後の大会では、自分の暴投でコールド負けしてしまったといいます。

なんと茨木東高等学校野球部は、弱すぎて部室を追いやられ、最終的には階段下のスペースが部室になったというから驚きです。

 

それでも強豪校への憧れはあったそうで、強豪校の選手のおしりと太ももが筋肉でパンパンなのを見て、あえて小さいユニフォームを着てパンパンになるように見せていました。

そこで自らを鍛えるという発想にはならない、弱小野球部なのでした。

 

頑張っていたのは三振後のパフォーマンスで、剛速球を投げられるだけになんとも勿体なく感じてしまいますね。

また高校生の頃には彼女がいた濱家隆一さんですが、その彼女との悲しいエピソードがありました。

 

高校2年生のクリスマス、京都駅の大階段でゴスペラーズがライブをしていて、彼女と一緒に肩を寄せ合い聞いていました。

その後プレゼントを渡し終え何事もなく家に帰ったのですが、なんとその翌日彼女にフラれてしまったといいます。

 

良い雰囲気でクリスマスを終えただけに、翌日の別れ話はショックが大きかったでしょうね。

そんな濱家隆一さん、クラスでは“イチビリ”だったそうです。

 

“イチビリ”は大阪弁で「ふざけてはしゃぎまわる、調子に乗る」という意味があります。

関西では面白い人が人気者になる傾向にあるため、濱家隆一さんも前に出て目立っていたといいます。

 

幼いころから漫才師になるのが夢だった濱家隆一さんは、学祭では漫才のまねごとをしていました。

卒業したらNSCに入ると当時から宣言していて、周りにも特段驚かれなかったそうです。

 

芸人になるという、並々ならぬ思いがあったのですね。

しかし入学金と授業料で約40万円必要だと知り、高校を卒業後は1年アルバイトをしてお金を貯めてから入学しました。

 

料理上手でも知られる濱家隆一さんですが、そのきっかけは18歳ころにしていた居酒屋のアルバイトでした。

そこでは毎日30匹ものカレイを5枚におろしていて、だんだん楽しくなっていき料理に目覚めたといいます。

 

テレビ番組などでもその腕前を度々披露していますね。

かつては居酒屋を経営するほどでした。

 

料理に、野球の球速に、思わぬところで才能を発揮されていますね。

濱家隆一の出身中学は大阪市立東淀中学校

濱家隆一さんは、1996年4月から1999年3月まで大阪市立東淀中学校に通っていました。

 

東淀中学校のある東淀川区は、世帯数が大阪市内で1番多く、人口も2番目の規模であることから、1980年代後半には大阪市内で1番のマンモス校となったこともありました。

 

また、近くにある大阪北視覚支援学校と北大阪朝鮮初中級学校との交流が盛んにおこなわれています。

東淀川区は大阪都市圏のベッドタウンで、最寄りの上新庄駅の周りにはお店も多くあります。

大阪市立東淀中学校の概要

濱家隆一 東淀中学校

引用元:GoogleMap

学校名 大阪市立東淀中学校
所在地 〒533-0013 大阪府大阪市東淀川区豊里6丁目25−19
最寄り駅 阪急電鉄京都線『上新庄駅』から徒歩12分
大阪メトロ今里筋線『だいどう豊里駅』から徒歩11分
公式サイトHP http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j652424
創立 1959年5月1日
主な卒業生
  • 岡村隆史さん お笑いタレント(ナインティナイン)
  • 中川パラダイスさん お笑いタレント(ウーマンラッシュアワー)
  • 相川七瀬さん 歌手
  • 大塚翔平さん サッカー選手(ジェフユナイテッド市原・千葉)
  • 小嶋達也さん 元プロ野球選手(阪神タイガース)
  • 染矢一樹さん サッカー選手(FC岐阜)
  • 三輪修平さん 漫画家

なんと、ナインティナインの岡村隆史さんと、ウーマンラッシュアワーの中川パラダイスさんも東淀中学校の卒業生です。

同じ学校にお笑い界で成功している人が3人もいるとはすごいことですね。

 

中川パラダイスさんは、濱家隆一さんの2学年先輩にあたります。

中学校時代の濱家隆一

中学校時代も、部活は野球部に所属していました。

この頃の濱家隆一さんは、高校生の頃よりも荒れていたといいます。

 

気性が荒い方で、先生ともめたり、つかみ合いのケンカをしたりしていました。

先生ともめたエピソードではこんなものがありました。

 

ある時先生に、自分の教室に早く戻れと注意された濱家隆一さん。

教室に戻ろうと歩きだしたにも関わらず、その先生は教科書で顔をたたいてきたといいます。

 

そのことに後になってからだんだんと腹が立ち始め、他のクラスで授業をしているその先生のもとに乱入し、胸ぐらを掴んだそうです。

確かに、だいぶ荒れている印象ですね。

 

ただ本人曰く、万引きをしたり、暴走族に入ったり、バイクを盗んだりするようなヤンキーではなかったそうです。

そんな濱家隆一さんのこの頃の通り名は『東淀川の毒蛇』でした。

 

なかなか通り名がある中学生も珍しいですよね。

ただお調子者は中学生の頃も健在だったようで、『昭和五十八年十一月六日歴史に名を刻む天才が生まれた。史上最強の男。』と書かれた文集がテレビ番組内で公開され、いじられていました。

 

文集の文面を見ていると中学生らしい一面が垣間見えて、ほっとしました。

濱家隆一の出身小学校は大阪市立豊里小学校

濱家隆一さんは、1990年4月 1996年3月まで大阪市立豊里小学校に通っていました。

豊里小学校は2024年に創立150年を迎える、歴史のある学校です。

 

公立の小学校では珍しく、奨励服があります。

校則も今の学校にしては厳しい印象で

  • 『リップ、カイロを持ってくる時は先生に言う』
  • 『長ズボンをはいたり、ほかの衣服を着たりする場合は知らせる』
  • 『子供だけで淀川に行かない』

など、とにかく細かく決められていました。

 

この辺りは淀川と神崎川があったり、近くに大きな道路が走っていたりと、子供にとって危険になりえる場所も多くあるため、ルールを守る練習をすることで子供の安全を確保しているのかもしれませんね。

大阪市立豊里小学校の概要

濱家隆一 豊里小学校

引用元:GoogleMap

学校名 大阪市立豊里小学校
所在地 〒533-0013 大阪府大阪市東淀川区豊里5丁目14−60
最寄り駅 阪急電鉄京都線『上新庄駅』から徒歩20分
大阪メトロ今里筋線『だいどう豊里駅』から徒歩3分
公式サイトHP http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e651425
創立 1874年7月1日
主な卒業生
  • 相川七瀬さん 歌手
  • 中村智子さん 朝日放送アナウンサー
  • 西尾正也さん 第15代大阪市長
  • 西川大輔さん 体操競技選手

歌手の相川七瀬さんとは、中学校だけでなく小学校も同じで、更には町内会まで同じという縁がありました。

小学校時代の濱家隆一

実は小学2年生の頃に両親が離婚してしまい、しばらくは母親と姉の3人で暮らしていました。

父親が借金を抱えていたため、とても貧乏だったといいます。

 

この父親は、本人曰く『パンチパーマの中国人のおばちゃんが、借金返せと怒鳴り込んでくるような、ろくでもない父親だった』そうです。

特別貧乏という自覚はなかったそうですが、家で“すいとん”が出ることが普通だったのに、学校の授業で戦時中の貧しい人たちが食べていたと知りショックを受けてしまいました。

 

また、服を買うお金がなく長袖の袖を切って夏服を作り、冬にはその袖を再び縫い付けて着ていました。

住んでいた文化住宅はボロボロで傾いていて、穴の開いた天井からは野良猫が顔を出していたといいます。

 

更には、サバ缶のサバの骨がスナック菓子に食感が似ていて、それを食べることに喜びを感じていたほどでした。

そんな濱家隆一さんが子供の頃に遊んでいた遊びは、メジャーを折らずにどこまで伸ばせるかというものと、ネックレスをとぐろ状に綺麗に巻いていくというもの。

広告の裏に、隙間なく文字や数字を書いていくというのもよくやっていたそうです。

濱家隆一さんといえば、クイズ番組で博識ぶりを披露していますよね。

 

塾などにも通わずそれが出来るのは、この頃の広告の裏に色々書いて遊んでいたことが影響しているのではと、語っていました。

当然習い事もさせてもらえず、少年野球に入りたいと母親に伝えるも、見学に3回行っただけで終わってしまったそうです。

 

友達の誕生日会に呼ばれたときは、貴重な100円を使いプレゼントを用意したにもかかわらず、お返しのお菓子の方が高いものだったそうで、「お返し渡すの嫌だ」と言われてしまいました。

友達にも悪気はないとはいえ、いたたまれない気持ちになってしまいますね。

 

しかし、そんな大変な中でも自分で楽しむ方法を見つけて、それをまた今の仕事に活かしていて、ただでは転ばない力強さが感じられます。

 

また、小学生の頃から荒れていて、宿題もせず手ぶらで学校に行くような生徒だったとインタビューの中で語っています。

そのため、先生にも目の敵にされていて、小学4年生までは友達ともうまくいっていなかったようです。

 

ある時は、他にもふざけている子がいる中、濱家隆一さんだけが朝礼台に引きずり上げられボコボコにされたといいます。

見せしめのつもりなのか、とてもいい気はしませんね。

 

当時でもひどいですが、今同じことをしたらかなり問題になりそうです。

他にも、片親だからぐれるのもしょうがないと、本人たちの前で言われたことがあるそうです。

 

そんな濱家隆一さんですが、小学5年生と6年生の時に担任になった先生のおかげで、ゆがんだ人間にならずに済んだといいます。

その先生は生徒のことを細かく見てくれていて、自分が悪ければ相手が子供であろうときちんと謝る先生でした。

 

その先生の指導により、友達と協力しで物事に取り組めるようになり、更にはクラスを引っ張っていく存在になりました。

小学校の卒業文集では、将来の夢は漫才師で、そのために吉本興業に入ると書いています。

 

ダウンタウンのお二人に憧れていて、『ダウンタウンを超える漫才師になりたい』とも書かれていました。

他にも『スーパーサイヤ人になる』『天才、天才、天才、天才、濱家』などとも書かれていて、本来の明るい人柄を取り戻しているようにも見えます。

 

この先生がいなければ、今の濱家隆一さんはいなかったかもしれませんね。

そして、小学生の頃からの夢を叶え、更にはこれだけの人気を博しているのですから、とてもすごいですね。

 

濱家隆一さんが11歳の時には母親が再婚し、生活も楽になっていきました。

新しい父親との関係は現在でもとても良好で、賞レースの賞金を両親にプレゼントしている姿がテレビで放送されています。

 

ちなみに高身長の濱家隆一さん、小学6年生ですでに165㎝あり、ランドセルが体に合わないため免除されていたそうです。

確かに、165㎝の体にランドセルはちょっときつそうですね。

まとめ

今回は濱家隆一さんの学歴を、エピソードと共にご紹介してきました。

濱家隆一さんは小学2年生の頃に両親が離婚し、11歳で母親が再婚するまでとても貧しい生活を送ってきました。

 

小学4年生までは友達ともなかなかうまくいっていませんでした。

しかし、小学5年生の時の担任との出会いで、クラスを引っ張る存在になるまでに変わっていきました。

 

意外なことに、高校では茶髪にピアスにアイプチという出で立ちで、野球部のピッチャーとキャプテンを務めています。

もともと気性が荒く、中学校、高校では揉め事やケンカで度々先生に呼び出されるヤンキーであることがわかりました。

 

そんな濱家隆一さんですが、高校を卒業後は1年アルバイトをしてお金を貯めNSCへ入学。

小学生の頃から憧れであった“漫才師”になる夢を立派に叶え、現在ではお笑い界の第一線で活躍しています。

 

様々な番組のMCにも抜擢され、テレビで見ない日がない濱家隆一さん。

今後どのような活躍を見せてくれるのか、その動向から目が離せません。

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