今日は、名曲「異邦人」で知られる久保田早紀さんの中学時代についてちょっと掘り下げてみたいと思います。音楽好きなら一度は耳にしたことがあるこの曲。あの美しいメロディと歌詞にはどんな背景があるのでしょうか?実は、久保田早紀さんの中学時代がそのヒントになるかもしれません。
久保田早紀の中学時代とは?
久保田早紀さん(現・久米小百合さん)の中学時代についてわかっていることをまとめますね。
◆ 出身地と中学時代の背景
久保田早紀さんは 東京都国立市出身(1958年生まれ)。
地元の 国立市立第一中学校 に通っていました。

国立市は芸術や音楽教育が盛んな地域で、のちに音楽活動へ進む下地となったとも言われています。
◆ 音楽との出会い
中学時代からクラシックピアノを習い始め、気づけば作曲にも興味を持つようになっていました。ピアノの練習中、たまに「これ、モーツァルトもびっくりするんじゃない?」なんて思うこともあったとか。当時から歌や音楽に強い情熱を示し、学校の合唱や文化祭ではまるで「音楽界のスター」気取りで、周りを引っ張る中心的な存在だったそうです。
当時から歌や音楽に強い興味を示し、学校の合唱や文化祭でも中心的な存在だったそうです。
◆ 中学時代の性格やエピソード
思春期の彼女は、内向的でありながら文学少女としての感性が際立っていました。空想にふけることが好きで、ノートには詩や曲の断片を次々と書き留めていたと言います。この頃からすでに「海外への憧れ」や「異国情緒」を音楽や文章で巧みに表現し、その独特な感性が後に名曲『異邦人』へと結実していくことになります。
空想好きで、ノートに詩や曲の断片を書きためていたそうです。
この頃からすでに「海外への憧れ」や「異国情緒」を音楽や文章で表現しており、それが後に『異邦人』へとつながっていきます。
◆ 中学から高校への流れ
中学卒業後は 都立国立高校 に進学。

ここでも音楽活動を続け、作詞作曲の幅を広げていきました。
高校時代に書いた曲がのちにプロの活動へつながるきっかけとなります。
久保田早紀さんの中学時代は
「文学少女で内向的ながら、音楽や詩に熱中し始めた時期」であり、すでに後の代表曲『異邦人』の原点となる感性が育まれていた時期といえます。
友人関係と初期の音楽活動
久保田早紀さんの 中学時代の友人関係と初期の音楽活動 を掘り下げてまとめてみました。
◆ 友人関係
国立第一中学校時代、彼はおとなしく落ち着いた性格で、クラスの中心で目立つタイプではなかったと言われています。しかし、その内面には豊かな感性が宿り、読書や音楽の趣味を共有できる友人たちと深い絆を築いていました。放課後には詩や歌について語り合うなど、心の通じ合う仲間との時間を大切にしていたそうです。周囲からは「落ち着いていて、少し大人びた雰囲気を持つ魅力的な子」という印象を抱かれていたようです。
ただ、読書や音楽の趣味を共有できる友人とは深くつながり、放課後に一緒に詩や歌を語り合うような仲間がいたといわれています。
周囲からは「落ち着いていてちょっと大人びた雰囲気の子」という印象を持たれていたそうです。
◆ 初期の音楽活動
幼いころからピアノを習っており、中学時代にはすでにクラシック曲だけでなく自作のメロディを弾いたり、詞を書きためたりしていました。
学校では合唱や音楽の授業でピアノ伴奏を担当することが多く、自然と「音楽の人」という立ち位置に。
この頃に書きためていた詩やメロディの断片は、のちのデビュー曲やアルバム制作の基礎になっています。
当時から「外国への憧れ」や「神秘的な情景」を曲に込める傾向があり、のちの代表曲『異邦人』の原風景はすでに芽生えていました。
◆ 中学から高校へのつながり
中学時代に築いた小さな音楽仲間との交流がきっかけで、高校ではさらに本格的に作曲・弾き語りを始めます。
高校時代には友人とバンド活動のような形をとることもあり、これがシンガーソングライターとしての基盤となりました。
久保田早紀さんの中学時代は
「親しい友人と静かに感性を共有しながら、詩作や作曲を始めた音楽の萌芽期」であり、後のデビューへの第一歩だったといえます。
異邦人の誕生とその影響
久保田早紀さんを語る上で欠かせない 『異邦人』の誕生とその影響 についてまとめますね。

◆ 『異邦人』の誕生
『異邦人』は、もともと久保田さんが 高校時代(国立高校在学中)に作った曲 です。
当時のタイトルは 『白い朝』。
異国的な旋律は、この頃からすでに完成されていたといわれます。
クラシックや中近東音楽を思わせる独特の旋律は、幼い頃からの空想や異国への憧れが投影されています。
大学在学中にプロデューサー・酒井政利氏に見出され、アレンジを経て『異邦人』として1979年にCBSソニーからデビュー。
◆ 楽曲の特徴
西洋と東洋が融合したような エキゾチックな旋律。
当時の日本の歌謡曲の中では珍しい、中近東風のスケール(旋法) を取り入れている。
歌詞も「旅」「異国」「運命」といったテーマで、文学的かつ幻想的。
発売当初は「難解で売れにくい」と思われていたが、むしろ大衆に強烈な新鮮さを与えた。
◆ 社会的な影響
1979年の発売直後に大ヒット。
オリコン1位獲得、約150万枚のセールスを記録。
当時の歌謡界における「ニューミュージックと歌謡曲の境界線」を越えた存在として位置づけられた。
70年代後半のフォークやニューミュージックの流れに、新しい「異国情緒」というジャンルを持ち込んだ。
◆ 文化的な影響
『異邦人』は昭和歌謡を象徴する名曲として、現在もテレビやCMで繰り返し使用される不朽の作品です。その独創的な世界観は、後のアーティストたち、例えば中森明菜や中島美嘉といったエキゾチックな表現を得意とする歌手たちにも多大な影響を与えました。さらに、日本の音楽界において「スケールの多様性」や「ワールドミュージック的アプローチ」を広める契機となり、音楽の新たな可能性を切り開いた一曲と言えるでしょう。
世界観の独自性から、のちのアーティスト(例えば中森明菜や中島美嘉のようなエキゾチックな表現を持つ歌手)にも影響を与えたとされる。
また、日本の音楽界で「スケールの多様性」や「ワールドミュージック的アプローチ」が広がるきっかけの一つになった。
◆ 久保田早紀さん自身への影響
デビュー曲がいきなり大ヒットを記録したことで、本人にとっては大きなプレッシャーとなったそうです。その後の活動では「異邦人の人」というイメージが一人歩きし、葛藤を抱える時期もあったとインタビューで明かしています。しかし現在では、この曲を「自分の人生を切り拓いた一曲」として前向きに捉え、教会音楽や宗教的活動の中でもその意義を語り継いでいます。
その後の活動では「異邦人の人」というイメージが先行し、葛藤することもあったとインタビューで語っています。
しかし現在では「自分の人生を開いた一曲」として肯定的に受け止め、教会音楽や宗教的活動の中でも語り継いでいます。
『異邦人』は「高校生の時に芽生えた感性が結実したデビュー曲」であり、 1979年の歌謡界に新風を吹き込み、久保田早紀の名を永遠に刻んだ楽曲 だといえます。
久保田早紀の家族とその影響
久保田早紀さん(現・久米小百合さん)の 家族とその影響 についてまとめますね。
◆ 実家・生い立ち
1958年東京都国立市生まれ。
父親は 牧師、母親もキリスト教会に関わる家庭で育ちました。
家庭には常に 賛美歌やクラシック音楽 が流れており、自然に音楽に親しんでいったといいます。
信仰心の厚い環境は、のちの音楽的世界観(異国情緒・精神性の高さ)に大きく影響しました。
◆ 両親からの影響
父親が牧師だったことから、幼い頃から 礼拝で賛美歌を聴き、教会音楽に触れる経験 を積みました。
母親は子どもの個性を尊重する方で、早紀さんがピアノや作曲に夢中になることを応援してくれたそうです。
家族の宗教的背景は、後の「異邦人」の神秘的な雰囲気や、作詞に込められる精神性に結びついています。
◆ 兄弟姉妹
詳しい兄弟の人数などは公表されていませんが、インタビューなどで「家庭の中で信仰と音楽に囲まれて育った」と語っており、 家庭全体が音楽や信仰と密接だった ことが伺えます。
◆ 結婚と夫・久米大作さん
1986年に 久米大作さん(作曲家・アレンジャー、元オフコースのサポートメンバー) と結婚。
夫との出会いにより、ポップスの世界から次第に宗教音楽・教会活動にシフトしていきました。
結婚後は芸能界から距離を置き、「久米小百合」として教会音楽や賛美歌を中心に活動。
夫とのパートナーシップは、単なるプライベートにとどまらず、彼女の音楽活動の方向性に決定的な影響を与えました。
◆ 家族と音楽の結びつき
- 実家 → 幼少期に培った信仰心と音楽性の土台。
- 両親 → 精神的な支え、賛美歌やクラシックの影響。
- 結婚 → プロの音楽家である夫と共に歩むことで、音楽を「信仰の表現」へと発展させた。
久保田早紀さんは 牧師家庭で育ったことにより「精神性の高い音楽観」を持ち、結婚によってさらにその方向へ深化していった といえます。
つまり、彼女の代表曲『異邦人』のルーツも、現在の教会音楽活動も、根底には常に「家族の存在」があるのです。
久保田早紀の音楽活動の推移
久保田早紀さん(現・久米小百合さん)の 音楽活動の推移 を時系列で整理してみました。
◆ デビュー前(高校~大学時代)
- 高校時代に『白い朝』(のちの『異邦人』)を作曲。
- 大学在学中(国際基督教大学)にプロデューサー・酒井政利氏の目に留まり、CBSソニーからデビューが決定。
◆ 1979年~1983年:歌謡界での活動
- 1979年:デビューシングル『異邦人』が大ヒット(オリコン1位、約150万枚)。
- その後も『夢がたり』『オレンジ・エアメール・スペシャル』などアルバムを発表。
- テレビ出演やコンサート活動を精力的に行い、一躍人気シンガーソングライターに。
- しかし、常に「異邦人の人」というイメージに縛られ、本人は葛藤を抱えるようになる。
◆ 1984年~1986年:活動の転換期
- シングル・アルバムを継続して発表しつつも、次第に表舞台から距離を置くようになる。
- 1986年:作曲家・編曲家の久米大作さんと結婚。これを機に 「久保田早紀」としての芸能活動を終了。
◆ 1987年~1990年代:信仰と音楽活動
- キリスト教の信仰に基づき、「久米小百合」として教会音楽や賛美歌を中心に活動。
- ゴスペルや宗教音楽のコンサートを行い、従来の歌謡曲シーンからは離れる。
- 教会やチャリティの場で歌を披露することが多くなり、商業音楽から「信仰の表現」へと移行。
◆ 2000年代:再評価とメディア復帰
- 『異邦人』がテレビCMやドラマで使われ、再評価される。
- 久米小百合として活動する傍ら、メディア出演も少しずつ増加。
- 音楽評論家や younger アーティストから「異邦人の革新性」が語られるようになる。
◆ 2010年代~現在
- キリスト教会や音楽イベントでの賛美歌・ゴスペル活動を継続。
- 時折テレビ出演し、『異邦人』を披露することも。
- 「シンガーソングライターから宗教音楽家へ」というキャリアの変遷が注目されている。
- 現在は 信仰と音楽を融合させた独自の活動 を続け、若い世代にも影響を与えています。
◆ 推移まとめ
- 1979〜1983年:歌謡界での成功(『異邦人』を中心に活躍)
- 1986年以降:結婚・信仰をきっかけに芸能界を離脱
- 1987年〜:久米小百合として宗教音楽活動
- 2000年代以降:『異邦人』の再評価・時折メディア出演
- 現在:教会音楽・賛美歌を中心に活動
久保田早紀さんの音楽活動は
「商業音楽での華やかな成功 → 信仰を軸にした音楽活動」へと大きくシフトした点に独自性があります。
『異邦人』のようなスケール感と精神性の高さは、その後の活動全体を貫くテーマになっています。
異邦人の魅力とその影響力
久保田早紀さんの代表曲 『異邦人』の魅力とその影響力 を整理します。
◆ 『異邦人』の魅力
① メロディの独自性
- 中近東風の旋律(ハーモニック・マイナー系スケール)を取り入れた、日本の歌謡曲としては異色のサウンド。
- 哀愁を帯びながらも壮大で、聴く人を「異国」へと誘うような不思議な雰囲気を持つ。
② 詩の世界観
- 歌詞は「旅」「別れ」「運命」「異国」をテーマにしており、日常的な恋愛ソングとは一線を画す。
- 異国の情景や人生の孤独感を文学的に描き、“自分探しの歌” としても共感を呼んだ。
③ 編曲とサウンド
- プロデューサー酒井政利、アレンジャー萩田光雄による緻密な編曲。
- ストリングスとピアノが織りなす壮大さと、ボーカルの透明感が融合し、歌謡曲とニューミュージックの橋渡しとなった。
④ ボーカルの個性
- 久保田早紀さんの 透き通る声質とクラシカルな発声 が、エキゾチックな旋律に非常にマッチ。
- 高音部の伸びやかさと透明感が、楽曲を神秘的に仕上げている。
◆ 『異邦人』の影響力
① 音楽界への影響
- 1979年のリリース直後、オリコン1位、150万枚超の大ヒット。
- 「異国情緒」を前面に出した歌謡曲は珍しく、その後の音楽界に「ワールドミュージック的要素」を導入するきっかけとなった。
- 中森明菜、鬼束ちひろ、中島美嘉などの後進アーティストの「神秘的・異国的」な世界観の源流ともいえる。
② 社会・文化的影響
- 当時の日本人の「異国への憧れ」や「海外旅行ブーム」ともシンクロし、社会的現象に。
- 今もなおテレビ・CM・映画で頻繁に使われ、昭和歌謡を代表する一曲として幅広い世代に親しまれている。
③ 久保田早紀本人への影響
- デビュー曲にして最大のヒットとなり、本人の音楽活動の方向性を大きく決定づけた。
- その後のキャリアで「異邦人の人」というイメージに縛られる苦悩もあったが、現在は「自分の人生を切り開いた一曲」として肯定的に語っている。
④ 国際的評価
- 日本独自の歌謡曲でありながら、スケール感や旋律が普遍性を持ち、海外の音楽ファンや研究者からも「ワールドミュージック的作品」として評価されている。
◆ まとめ
『異邦人』の魅力は、
- 異国情緒あふれる旋律
- 文学的で普遍的な詩
- 透明感のあるボーカルと壮大な編曲
にあります。
その影響力は、
- 日本の歌謡界に新しい音楽的表現を切り拓き
- 後進アーティストに大きなインスピレーションを与え
- 現在でも世代を超えて聴き継がれる名曲
という点に表れています。
今回は、久保田早紀さんの中学時代に焦点を当てて、「異邦人」の背景をちょっとだけ探ってみました。音楽って、その人の人生や感性が色濃く反映されるものですよね。久保田早紀さんの音楽もまた、彼女自身のストーリーが詰まった宝物だと思います。
それではまた次回!音楽やアーティストについて語りましょう♪