
大谷翔平選手は2024年2月29日に田中真美子さんと結婚を発表しましたね。
多くのファンから祝福され大注目を浴びています。
そんな大谷翔平さんの母・大谷加代子さんはどんな方なのでしょうか。
調べてみました。
大谷加代子さんのプロフィール
まずは大谷加代子さんのプロフィールをご紹介します。
大谷 加代子/おおたに かよこ(旧姓:熊沢 加代子/くまざわ かよこ)
1964年ごろ
身長 170㎝超
一般の方ですが、三菱重工のバドミントン部に所属し、国体に出場したことのある、バドミントン選手でした。
夫の大谷徹さんは同グループ会社の社会人野球の選手でした。
現在は金ヶ崎リトルシニアという中学硬式野球チームの監督をされています。
同じ社会人スポーツの選手ということで、話が合ったのでしょうね。
※大谷加代子さんの身長は、当時を知るOBの方がOB会の会誌に寄稿されたものから抜粋しました。
大谷加代子さんの経歴・学歴は?
神奈川県立立野高校
1982年に神奈川県立立野高校を卒業し、
三菱重工/横製入社勤労部安全保安課に配属されたそう。
同社の横製バトミントン部に所属し、国体・五大都市大会等に出場した記録が残っています。
また、1983年にはヨネックスカップジャパンオープンという国際大会に神奈川代表として出場。
1986年に夫の大谷徹さん(菱日技入社・野球部所属)と結婚し、寿退社したのだと思われます。
大谷加代子さんの家族構成
大谷加代子さんの家族構成は
夫:徹さん、長男:龍太さん、長女:結香さん 次男:翔平さんの
5人家族です。
長男の龍太さんは翔平さんの7つ上、長女の結香さんは2つ上とのこと。
翔平さんが1994年生まれですから、龍太さんは1987年ごろ、結香さんは1992年ごろの生まれと推察されます。
龍太さんが野球をやっており、その影響で翔平さんも野球を始めたそうです。
龍太さんが野球を始めたきっかけは分かりませんでしたが、父親の影響が大きいのだと思います。
当時、加代子さんは週のうち数日をパートで働きながら家事をこなし、土日は休みをもらい、グラウンドに通っていたそうです。
お子さんがスポーツをやっていると、土日はほとんど試合があるので、大変だったと思います。
でも、ご本人もスポーツ選手でしたから、のびのびと野球をする子供たちを見るのは楽しかったのではないでしょうか。
大谷翔平さんへの教え
翔平さんは叱った記憶がないというほど、手のかからない子供だったそう。
絵本など気に入った本の端っこが折れたりしていると、気になって、気になってしょうがない様子を見せていたそうで、細かいところが気になる性格のようです。
自分が大事にしていたもの、持っていたものが傷ついたり壊れたりすると、感情を剥き出しにして怒る。
でもそのくらいしか怒ったことがない子供だったとか。
子供3人とも反抗期がなかったそうです。部屋に閉じこもることもなく、テレビが1台しかないので、同じ場所に集まることに。
それが自然と話しかけるきっかけになったのかもしれませんね。
小さいころの翔平さんは末っ子らしい甘えん坊で、みんなが大事に見守る感じだったと加代子さんは話しています。
反抗期などがない反面、活発で、人前で涙を見せない強いところもあったとのことでした。
加代子さんとしては、翔平さんが末っ子ゆえに周りを見て、自分のやりたいことを抑えていたのではないかと心配しているのだそうです。
しかし、今の姿を見ると、のびのびとした末っ子らしさと、周囲を見て判断するクレバーさのバランスがとても良いのではないでしょうか。
「ストレートは速いがコントロールが悪い」という弱点のあった翔平さんに、加代子さんはこの弱点を踏まえて、次の目標や改善点を具体的にどうするべきか考えなさいとアドバイスしたそうです。
自分の弱点を冷静に見つめ、具体的に改善方法を見出すことが次のステップに繋がるという教えは、翔平さんの選手としての原点なのかもしれません。
子育てのモットーなどをインタビュアーに聞かれて、子育てのモットーなどはなく、家訓もなかったと話している加代子さん。
翔平さんの場合は3人目ということもあり、心も時間も余裕があったのが良かったのかもと振り返っていました。
大谷翔平さんから見た母・加代子さんは?
翔平さんは母に怒られたのはグラウンドでの野球の時だけで、家では怒られたことがないと話しています。
修学旅行で土産代をもらったが、使いきれなかったお金は親に返していたそうで、お年玉も使う予定がない時には持っていて、と親に渡し、使うのは野球用品ぐらいだったと加代子さんが話していました。
翔平さんにとって、ご両親は本当に信頼のおける頼もしい家族だったのでしょうね。
家族の仲の良さがわかるエピソードもありました。
洋服などに無頓着な翔平さんは、出かける際、兄のジーパンと母のポロシャツを借りていってしまうこともあったとか。
母親のポロシャツを着て行ってしまうあたり、おおらかな雰囲気の翔平さんらしいエピソードです。
大谷さん一家は取材を受けない
大谷翔平さんがメジャー移籍希望を公言する以前から、家族はメディアに登場することはなくなっています。
翔平さんの夢を応援したい、邪魔をしたくないという気持ちの現れではないかと推察されます。
まとめ
今回は大谷翔平さんの母、大谷加代子さんについて書いてきました。いかがだったでしょうか。
日本中を熱狂の渦に巻き込んだ大谷翔平さんを育てた方、というだけでなく、ご本人もバドミントンで好成績を残した選手でした。
家訓などを設けず、やりたいことをやりたいだけ、という教育方針が大谷翔平さんを大きく育てたことは間違いないと思います。
これからも、支えあう家族と一緒に幸せに過ごせるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
大谷翔平著「不可能を可能にする大谷翔平120の思考」