
2024年12月9日に膀胱がんのために亡くなられたとのニュースが入ってきましたね。
本当にびっくりしました。まだ77歳の若さでと思う方が多いでしょう。
最近はテレビでの姿を見なくなっていましたが2016年から膀胱がんを患って長い闘病生活を送られていたんですね。小倉さんの毒舌と辛口だと話題になっていましたが情報番組では必要な存在だったと思われます。
今回はそんな小倉さんの学生時代はどんな方だったのでしょうか。
詳しく調査してみます。
さっそく本題に進んでいきましょう。
小倉智昭の学歴・経歴まとめ
父親は帝国石油の研究者。
母親は看護師。
兄弟は姉。
小倉智昭の出身小学校・秋田市立高清水小学校
小倉さんは秋田市の小学校に入学し、その後新宿区の小学校に転校したことはわかっています。
小学2、3年生の時に東京へ移り高清水小学校4年生から再び秋田へ中学進学後再び東京へ移った
小学校は秋田市立高清水小学校、中学校は世田谷区立梅丘中学校を卒業。
小学2、3年生の時に東京都新宿区へ移り、小学校4年生か秋田の戻り、中学からは再び東京移りました。
子供の頃は吃音症(どもり)で人と会話をするのもままならなかったといいます。
小学生の時に東京に転校した際には秋田弁で言葉が通じないとばかにされたそうです。
しかし、足が速く運動がなんでも得意だったので運動会があると誰にもいじめられなくなったといいます。
小倉智昭の出身中学校・梅丘中学校

小倉智昭さんは1960年4月に世田谷区立梅丘中学校へ入学し、1963年3月に卒業されています。
小倉智昭の中学時代は世田谷区大会で優勝
小倉さんは中学時代にスポーツに熱中していました。
「友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること」という父親の方針のもとで育ち、子供の頃からスポーツ好きだったとのこと。
陸上で記録を出し続けていた小倉智昭さんは、世田谷区大会で優勝していたんです。
中央大学附属高校から推薦入学のオファーが来たのも納得ですね。
『赤丸!スクープ甲子園 芸能人卒業アルバム この人はダレ?』では水木一郎さんと同級生であることが紹介されていました。
ちなみに、滝沢カレンさんは後輩になるんですよ。
芸能偏差値が高い中学校ですね。
浅野忠信さん(俳優)
水木一郎さん(歌手)
八村塁さん(バスケットボール選手)
浅野ゆう子さん(俳優)など
小倉智昭の出身高校・中央大学附属高等学校

小倉智昭さんは1963年4月に中央大学附属高等学校・普通科へ入学し、1966年3月に卒業しています。
小倉智昭さんは高校も補欠合格だったそうです。
小倉智昭さんは5段階評価で3ぐらいの成績だったのですが、当時から難関校だった中央大学附属大学高校に合格できたとは陸上の成績が飛び抜けてよかったんですね。
エピソードでは、府中競馬場に通い、ジョッキーや馬主の名前まで覚えるほど熱心だったと言われています。
競馬好きで有名でしたね。学生時代から好きであったことはびっくりしましたね。
小倉智昭の高校時代はモテていた
小倉智昭さんは、陸上で推薦入学を果たしたほどの運動能力と、甘いマスクを持ち合わせており、男子校であったにもかかわらず、トラックの各コーナーでファンが「頑張って!」と声援を送っていたそうです。
男子校では女子との接点が少ないかもしれませんが、小倉智昭さんが100メートルを10秒9で走るほどの記録を持っていたため、大会で注目を集めていたことがわかりますね。
順調な陸上生活を送っていると思われがちでしたが、自分の限界を感じて陸上を辞めようと考えたこともあるそうです。
しかし、「入った以上は意志を貫け」と父親に言われ、4×400メートルリレーで当時の高校記録を更新したんですよ!
極めた人たちの中で記録を叩き出すのは並大抵のことではないと想像しますが、小倉智昭さんはやってのけるほどの実力を兼ね備えていたんですね。
小倉智昭の出身大学は獨協大学

小倉智昭さんは1967年4月に獨協大学の外国語学部フランス語学科に入学し1971年3月に卒業されています。
大学受験誌の2次募集の広告で見つけた獨協大学外国語学部を受験し補欠でフランス語学科に入学しました。
大学でも陸上部に入りましたが、ケガをきっかけに遠ざかるようになり2年で退部されています。
退部後は浪人時代から始めていたバンド活動に熱中。
バンドで食べていければとも思いましたがバンドメンバーの就職が次々と決まり、1人だけ取り残され就職を決意したそうです。
その後、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)に入社しされフリーアナウンサーとしても活躍しています。
小倉智昭さんはスペイン語を学びたいと上智大学を志望していたのですが、不合格で浪人しています。
スペイン語希望で英語科を受験し、フランス語学科に補欠入学とは一体何語をしたかったのでしょう。
小倉智昭さんは「何で俺がフランス語?と思ったけど、入れてくれると言うんだから」と入学を決めたんだそうで、特にこだわりはなかったみたいですね。
小倉智昭は浪人時代に国体出場
小倉智昭さんは、小学生の頃から運動能力に優れ、国体に出場していました。さらに、浪人時代にも別府国体への出場を果たしていたのです。
予備校で勉強しなければならないにも関わらず、3日で飽きてしまった小倉智昭さんは午前中に図書館で好きはジャンルの本を読み、午後から東京体育館横の陸上トラックで走っている生活を送っていたところ100mを10秒台で走れるようになったというエピソードも。
それだけ早く走れれば、国体に出場したくもなりますよね。
当然父親からは「勉強もしないで浪人中に何やってるんだー」と叱られたそうですよ。
大学に入学してからも陸上を続けていたのですが、大学2年生のときに怪我で引退しています。
次にはじめたのはバンドでした。
ベースとボーカルを務め、小倉智昭さんの面白い司会で人気があったそうです。
ビアホールやキャバレーで演奏されており注目を浴びていたようです。

ベースとボーカルを担当されていたことから中央にいるのが小倉智昭さんでしょう。
客席よりも高い段にある本格的な舞台で演奏されていたようです。
普段の生活ではよくどもっているといい、どもらない方法は緊張感を持って話すことだといいます。
就職試験は文化放送は1次選考で不合格、フジテレビは最終選考の6人にまで残りましたが不合格でした。
そんな時に、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)一般公募を始めたことを知って受験し合格されています。
アナウンサーまでの道のりとして努力されてきたのではないでしょうか。
小倉智昭さんは競馬の実況をしていた
前文でも分かるように若い頃に土曜日の競馬中継で実況をされていたとの情報があります。
当時の番組には競馬評論家の伊藤友康さんや、元騎手の渡辺正人さんが出演されていたようです。
カブラヤオーの最後の競馬の実況をされたのが小倉智昭さんと言われています。
当時は小倉さんも若くて黒緑の眼鏡をかけてテレビで実況されていたとのこと。
もっと小倉智昭さんの競馬の実況を聞いてみたかったですね。
心からお悔やみ申し上げます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。